東京大学理学部のある教授は「東大の学生は確かに優秀で、3割ほどの学生は優秀な研究者になれると思う。しかし4年になって『何を研究テーマにしたいか?』と聞いても『何を研究すればいいですか?』と尋ねてくる学生が7割ほどいるので困っている」と嘆く。
与えられた課題を解くのは得意だが、未知の課題を見つけ、自ら解決していくことには苦手な学生が多いようだ。難関大学に合格した「受験秀才」の中で、自ら道を切り開いていく学生がもちろん一定程度はいるだろうが、必ずしも多くはないのが実情である。
1983年に出版された『思考の整理学』(外山滋比古著)は287万部のロング&ベストセラーだ。外山は自力で飛ぶことができる「飛行機」と風がないと飛ぶことができない「グライダー」を例えにして次のように日本の「優等生」の現実を喝破した。
グライダーとしては一流ではある学生が、卒業間際になって論文を書くことになる。これはこれまでの勉強といささか勝手がちがう。何でも自由に自分の好きなことを書いてみよ、というのが論文である。グライダーは途方にくれる。突如としてこれまでとまるで違ったことを要求されても、できるわけがない。グライダーとして優秀な学生ほどあわてる。
「飛行機」になれる本当の「学力」を見極める
外山が40年前に指摘したグライダー型の「受験秀才」は今ではさらに増えているにちがいない。日本経済は「失われた30年」を経験し、昨今は日本の大学も国際競争力の低下が指摘される。グライダー型の受験秀才を大量に再生産してきた結果が今の苦境を招いているのではないだろうか。
1点刻みの筆記試験ですべて合否を判定することが公平な尺度なのだろうか。現実をみると比較的豊かな家庭で育った東京圏の子どもたちが幼い頃から塾通いをして、「学力」を獲得し、難関大学に受かっている。
そこで評価される「学力」は本当に未知なる難問や社会課題を解決する力に結びついているのだろうか。それは外山が言った「グライダー」を評価していただけではなかったか。東北大学のAO入試への傾倒は今こそ必要な「飛行機」になれる「学力」を見極めようとする試みだといえる。
滝澤副学長は「本当に大事なのは自分のポケットに詰まっているものはそんなに多くなくても、入っているものを組み合わせてどう答えをつくるかという力だと思います。昔の工学部の研究室では、研究室のガラクタのような装置を組み合わせて、何とかデータを取るという世界でした」と話す。そんな自力を持ち、野生味ある学生がAO入試で獲得できるなら大歓迎である。