「社会的インパクト」が生じるかは社会の受け止め方による

政策当局側に強い焦慮があるのは筆者にも容易に想像できる。税金を投じる以上、研究力向上につながる確たる成果を見たいと考えるのは当然である。だが、高等教育というシステムの特性を十分勘案せず、ひたすらメリハリをつけたいというだけなら、いささか芸のない話である。

竹中亨『大学改革 自律するドイツ、つまずく日本』(中公新書)
竹中亨『大学改革 自律するドイツ、つまずく日本』(中公新書)

こうした性急さは、先にちょっとふれた「社会的インパクト」にも見てとれる。これは、イノベーションをはじめ、教育・研究の成果が学術面を超えて広く社会全体にもたらした影響のことである。最近は、大学の活動がどれほど社会で実際に役だったかという観点を予算配分に加えようという考えが強まっている。そこで第4期中期目標期間では、運営費交付金の配分に、社会的インパクトを生みだす取り組みを大学が行ったか否かを反映させるという方針となっている。

だが、これはあまりに前のめりの議論だといわざるをえない。社会的インパクトが生じるかどうかは、教育・研究そのものの質にもよるが、同時に社会の側の受けとめに大きく左右される。有名な例は新型コロナウイルスに対するmRNAワクチンである。基本的原理はコロナが流行する15年も前に開発されていたが、その後長く日の目を見なかった。言いかえれば、コロナの流行がなければ、このワクチンにあれほどの社会的インパクトは生じなかったはずなのである。

研究を活性化させる政策が、研究力の足腰を弱めているのではないか

つまり、社会的インパクトは生みだそうとして生みだせるものではない。ある意味で結果論である。社会的インパクトを生みだすようにといわれた大学側は、結果論を自力で左右しろといわれたに等しい。

気になることがある。筆者たちが行った国立大学へのインタビューでは、少なからぬ大学が、これをうけて地域貢献などに傾斜している印象であった。基礎研究を行っても、将来的に社会的インパクトを生むか否かはおろか、具体的な成果に結実するかどうかすらわからない。それなら、地域貢献のほうが社会に対する成果が手っとり早くあがるというわけである。

地域貢献が悪いというつもりは毛頭ないが、しかし大学の本来の使命である研究とはやはり別ものである。大学の研究を活性化させようという政策が、むしろ研究力の足腰を弱めているとしたら皮肉である。

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