新卒一括採用のせいで卒業大学が重視される
【西田】そもそも政治家という職業は、専門性が問われる仕事ではないことが理解されていない、ということもありそうです。もちろん、長年の経験を通じて専門性を高めることは期待されますが、多様な背景の国民の代表として選ばれるという性質上、政治家は試験を通じて専門性を問われる官僚とは異なる役割を持っています。政治家を学歴だけで評価するべきではありません。例えば、田中角栄は尋常小学校卒ですが、名総理として評価されています。
【安田】それなのに、なぜ政治家の「学歴」が話題になるのか。そのこと自体に、日本ならではの「学歴観」がよく表されているように感じます。どこの大学を卒業したかは確かに重要な情報の一つではありますが、それよりも大事なのは「何を学んだか」「どれだけ深く専門知識を積み上げたか」という視点であるはずです。
【西田】本当にそうですよね。公共政策ならこの大学、経済学ならあの大学、というように、分野ごとに強みを持つ大学があり、本来の「学歴」の価値とは、その中で修士や博士の学位を取得するところにあります。ですが、日本ではまだ学部卒の学歴が強調されすぎています。「学部卒」はグローバルな基準で見ると、「低学歴」とさえ見做されることも多いのですが。
【安田】その点は日本社会として、もう少し見直していく必要がある問題だと私も感じてきました。日本の学歴観と海外の学歴観の違いは、経済学でよく使われる「シグナリング」と「人的資本」という2つの理論で説明するとわかりやすいかもしれません。
シグナリング理論は1970年代に経済学者マイケル・スペンスが提唱したもので、学歴や資格などがその人の能力を示す「シグナル」として機能する、というものです。企業は労働者の実際の生産性や能力を雇用の際に完全には知ることができませんから、採用の際の不確実性を減らすため、学歴を「この人は一定の水準の能力を持っている」という指標に使う。
対して、同じく経済学者のゲイリー・ベッカーが提唱したのが「人的資本理論」です。教育やトレーニングを通じて個人の知識やスキルを「人的資本」として蓄積し、それが生産性や所得に直接的な影響を与えるという考え方です。日本で根強い学歴観といえば、「大学受験を突破することで、その人の能力の証明とする」という前者の「シグナリング」のほうですよね。
【西田】付け加えると、スペンスの言う「学歴のシグナル」が日本で重視される背景には、日本の労働市場や新卒一括採用という雇用の構造があると言えるでしょう。例えば、アメリカや中国などでも、仕事に必要なスキルを持つ人を個別に採用する「ジョブ型雇用」が一般的です。一方、日本では新卒一括採用と仕事の範囲を定義しないメンバーシップ雇用が一般的で、一人ひとりの能力である「人的資本」を細かく評価せず、どの大学を卒業したかがわかりやすく重要視されがちです。