不倫をしていないというだけで正義の側には立てない

表題作である「嫌いなら呼ぶなよ」は、妻の友人の主催するバーベキューに夫婦で出かけたら、実はその会は妻や友人たちが仕組んだ罠であって、2組の友人夫婦と涙を流す妻に一斉に不倫を責められる夫の目線で綴られる。

夫の脳裏には「妻と愛人で立場が違うとはいえ、同じ恋愛感情なのに、楓は周りから同情されて、星野さんは蔑まれ悪しざまに言われる。ただただ僕を好きで、頭では駄目と分かっていても離れられないだけなのに」というような真理がしばしば過ぎり、ついつい愛人の側から世界を見る癖が育っているアラフォー独身の女性なんかは時折声に出して読みたい日本語に触れた気分にもなる。

被害者ヅラを崩さず夫を陥れた妻も、正直全然関係ない部外者なのに場を仕切って人の気持ちを決めつけるような友人たちも毒々しく、異常なのはこっちだったのか、などと納得しかける。

しかし夫はそんな一触即発で絶体絶命の場で、「自分も他人も責めすぎないで、穏やかにホンワカとストレスをためずに、どこかに逃げ場を残しておく生き方が一番だ」としみじみ思ったり、自分の不倫を「そんな低次元の感情ではない。もっとストイックな行為だ」と位置付けたりする。

やっぱり彼は彼で異常な人に間違いはない。そしてここに集まる彼以外の人は不倫大好きな彼から見ても、絶対不倫なんてしていない人ではあるけれど、不倫をしていないというだけで彼らが正義の側に立つ理由にはならない。異常でない人がいないのだ。

不倫の断罪は「家庭の脆弱に気付いた人々」の証

自分に責められる一点があると思っているという点で、世間よりはちょっと彼の方がマシのように思えるけれど、それは数十ページ彼の視点で物語を読み進め、すっかり愛着が湧いたからというだけの気もするし、多勢に無勢ならそちらを応援したいという心理のような気もする。

不適切にもほどがある!』のテレビ局幹部断罪のシーンを見て、口汚く彼を罵る「世間」代表の友人たちに肩入れする者はほとんどいないだろう。街頭で主人公が見たように、彼を責める世間の一部として普段は常識の内側にいる者たちの多くは一人ひとりに解きほぐせば、家族形態に疑問を感じていたり、不倫する人の気持ちがわかったり、許す心を持っていたりする良識的な普通の人々である。

鈴木涼美『不倫論』(平凡社)
鈴木涼美『不倫論』(平凡社)

それでも総意として家庭という枠組みの脅威を大声で断罪しなくてはならないのであればやはり、それだけ家庭の脆弱さに徐々に人々が気付いている証のようにすら思えるのだ。

不倫を許さない風潮、と言ったときに主体となっているのはそうした「世間」で、無関係な「世間」がサレ妻やサレ夫に先んじて浮気者を断罪することに対してはすでにワイドショーのコメンテーターですら「人様の家庭のこと」として違和感を示すような問題ではある。

そしてそのような風潮が話題になることのもう一つの罪は、無関係なのになぜか「許さない」世間に対して、実際に傷をつけられた者の傷が焦点化されづらくなることかもしれない。

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