※本稿は、中野信子『なぜ、愛は毒に変わってしまうのか』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。
「自分より優秀な若者」を怖がる大人たち
つい最近、ある大企業に勤務する方とお話をする機会がありました。その会社はインターンシップ制度を取り入れていて、大学生はもちろん、大学を途中で辞めてしまった子でも、見どころのある子を集めて教育するシステムがあるとのこと。
しかし、いざ蓋を開けてみると、大学を中退している子たちの中に、とても斬新な発想を持っている子がいることがしばしばあるそうです。でも彼らがそれを提案してくると、役員はそのアイデアを持て余してしまう。役員は自分の手柄になるわけでもないし、その子たちをすごく使いにくいのだといいます。
「正直困っています」と苦笑いされていました。自分の知らないことを知っている若い子たちが怖いから、やんわり芽をつぶそうとする。
この行為を、親側もやってしまいがちです。
「いい子」ほど可能性をつぶされてしまう
子が女の場合「女の子が生意気だと結婚できないよ」「女の子はそんなに勉強しなくてもいい」などと、周囲の大人からいわれないことはまずないといっていいでしょう。
子が男なら、親を凌駕するような発言をすると「世間のことをろくに知りもしないくせに、何を甘いこと言っているんだ」「おまえにそんなことができるわけがない」と頭から否定されてしまったりします。
大人の言動を観察するうちに、子どもたちの中には、そんな大人の言動に対して「何十年も生きているわりに、不条理なことを言う。非合理的だ」などと考え始める子がでてきます。
親に洗脳されることなく、むしろそんな親を心の中でダサいと思ってしまう。そういう子は自己肯定感が強いともいえ、「親は親、自分は自分」と考えられるので、心配はいらないでしょう。親の言動によってつぶされることはあまりないでしょうから。
一方で、いわゆる素直で人の意見を聞きやすい子、また自己肯定感の低い子では、自分が間違っているのかと思って萎縮してしまうおそれがあります。そして親からコントロールされてしまう。「いい子」ほど、大人に支配されやすく、親から可能性をつぶされてしまうかもしれないというのはなんとも悲しいことです。