「コメ不足」は来年も繰り返されるのだろうか。京都大学大学院の藤井聡教授とジャーナリストの堤未果さんの共著『ヤバい“食” 潰される“農” 日本人の心と体を毒す犯人の正体』(ビジネス社)より、「コメの流通・供給の仕組みが壊された理由」をお届けする――。
気づいた時には日本の農業はなくなっている
【堤未果(以下、堤)】ナチスドイツ政権下で、ニーメラー牧師という人が書いた有名な詩があります。
〈ナチスが共産主義者を攻撃し始めたとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は、共産主義者ではなかったからだ。
彼らが社会民主主義者を投獄したとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は、社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員を連れさったとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は、労働組合員ではなかったから。
次に彼らは私を攻撃し始めた。
だがもう、私のために声を上げる者は、一人も残っていなかった〉
こんな風に、見えないところからじわじわと足元が崩されてゆくパターンは、時代が変わった今も機能しているんです。
【藤井聡(以下、藤井)】このまま私たちが何も声を上げなければ、「彼らが米を取り上げた時に私たちが安心して食べられるものは何一つ残っていなかった」なんてことになってしまいます。
かつては「米価審議会」があった
【藤井】昔の日本人は「米」と「農家」を守るために努力を積み重ねていたのですが。
かつて「米価審議会」というものがありました。1949年に設置された農林水産省の諮問機関で、米の価格を話し合い、暴落したり高騰したりしないよう、調整していたのです。
これは農家を守ると同時に、米を主食とする日本人の食生活を守るという機能を果たしていました。
僕も学校で「米価審議会で米価を決め、農家の所得を守り、日本の米を守りましょう」と、当たり前のように習っていたものです。
米は日本人の食生活の根幹にかかわる大事なものだから、「米の価格をマーケット(市場原理)で決めるなんて、アホちゃうか」という雰囲気があったわけです。
その米価審議会は、2001年に廃止されました。
要するに日本政府は米農家を守ることも、米食文化を守ることも放棄したわけです。