「世の中は運命次第」

結果的に、小林が雇われ経営者でなくなるのは偶然だ。1914年(大正3)に最大株主である北浜銀行が取り付け騒ぎを起こしたのだ。

「そこで、とりあえず私が北浜の持株を引き出して、私も持ち、友人にも持たせ、その他日本生命や大同生命に持たせるという風に処置をつけた。今日私が阪急の大株主となり、借金をして資本家と事業家とを兼ねたような立場に置かれているのも、全く北浜の破たんがあったからの事だ。北浜があのままずっと安泰でいたら、私はやはり一使用人として働いていたに過ぎなかったろう。今日からみると、北浜の破たんがかえって私にうまい事になっているような訳で、世の中は運命次第という気がする」(小林一三『私の生き方』PHP文庫)

大株主の雲行きが怪しくなったことで、独立自主の体制が整い、言いたいことは言えるし、誰かの機嫌を極端に気にする必要がなくなったのだ。

小林の阪急立ち上げ前夜を時系列に眺めると小林の「運」の良さがわかる。実際、小林は自分を「運命論者」と語っている。何もかもが運とまで言い切っている。

自称「窓際」で左遷の連続で、転職もうまくいかなかったことで、全く意図していなかった鉄道事業に携わるようになり、それがきっかけで現代にも続く一大グループを形成したのだ。確かにめちゃくちゃ「運」がよい。

どうやって「運」をつかむのか

とはいえ、何もせずにぼうっとしていたわけもでない。目の前に問題が起きれば、自分の最善を尽くし、あとは自分ではどうしようもないから運次第ではないかと天に任せる。そんなことが小林の生きざまからは透けて見える。小林は「運」をつかむ術をこう説く。

「いたずらにあくせくしたり悲しんだりするよりは、現在の仕事をまじめに、熱情を持ってやれば、そこには必ず運というものが開けてくるものなのだ」(同)

今の仕事にまじめに取り組め。平凡すぎる人生訓だが、決して平坦な人生ではなかった小林の言葉だけに重い。考えてみれば、小林のひ孫である松岡修造も常に「熱い」。曽祖父の教えを誰よりも実践しているのかもしれない。

参考文献
逸翁自叙伝』(小林一三、講談社学術文庫)
私の行き方』(小林一三、PHP文庫)

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