夫の出征後、東京大空襲が起こり、嘉子は疎開を決断する
この後、嘉子には苦難が度重なる辛い日々がつづく。これまで彼女は何不自由なく幸福に暮らしてきた。人の運には限りがあるのか、持っていた運をすべて使い果たしたかのように、人生は暗転する。
芳夫の召集から2カ月後、3月10日には300機を超えるB29の大編隊が飛来して下町地域を焼け野原に変えてしまう。後に「東京大空襲」と呼ばれ、10万人を超える死者がでる悲劇を生んだ。
このまま東京にいると命が危ない。同月、嘉子は2歳の芳武と戦死した弟・一郎の妻子と一緒に福島県の坂下(河沼郡会津坂下町)へ疎開した。5月25日には山の手方面にも大規模な空襲があり、爆弾や焼夷弾をばら撒く無差別爆撃がおこなわれているからその判断は正解だった。空襲によって嘉子が住んでいた高樹町の借家は焼失、青春時代の思い出がいっぱい詰まった街並みも廃墟と化してしまった。