敗戦色が濃くなり、空襲の恐れから都心の屋敷を取り壊される
一方、芳夫にとっては書生として居候していた家である。家主の家族には常に気を遣って暮らしていたはず。その感覚が染みついていただろう。それだけに言いたいことも言えず、妻の尻に敷かれていたのでは……などと、勘繰ってしまう。彼についての資料がみつからず、そのあたりは想像で埋めるしかない。サザエさんの家に同居する夫のマスオさん。そんな感じだろうか。まあ、それも悪くはない。大家族が集まるにぎやかな茶の間、幸福な団樂のシーンが思い浮かぶ。
昭和19年(1944)になると、都市部では建物疎開が始まった。空襲による火災の延焼を食い止めるために、あらかじめ建物を取り壊して防火帯を作ることを目的としたものだ。戦前の昭和12年(1937)4月に制定された防空法に基づく措置で、東京では5万5000戸が取り壊された。
嘉子たちが住む家もその対象となる。そのため2月には近隣の高樹町に家を借りて引っ越している。笄町の屋敷と比較すると、かなり小さな家だったという。しかし、狭いながらも楽しい我が家。愛する人々と一緒に暮らす日々に変わりはない。
夫は二度目の召集も病気で解除されたが、嘉子の実弟は死亡
この頃には中高年の予備役や丙種合格者も根こそぎ召集されるようになっていた。芳夫にも6月に召集令状が届いたのだが、この時も肋膜炎の病根が見つかり、すぐに召集解除されて家に帰された。同月には嘉子の実弟である武藤家の長男・一郎が召集され、沖縄の部隊に送られた。その道中に輸送船が沈没して、一郎は亡くなっている。それだけに、夫が召集された時には生きた心地がしなかっただろう。
しかし、正式に兵役不適格者と認められて戻された。これでもう兵隊に取られることはないと安堵していたのだが……。