紫式部が清少納言を中傷した政治的意味

あまりに激しく、悪しざまに罵っているので驚かされる。ただし、これは直接交流した結果ではなく、『枕草子』および女房たちからの話を踏まえての批判と考えられる。

紫式部日記』では、清少納言に触れる前に、ほかの女房たちついても記されている。たとえば、『栄花物語』の前半の作者にも擬せられる赤染衛門のことは、品があって、こちらが決まり悪くなるほどすばらしい歌詠みだ、と評価。恋多き女として知られる和泉式部のことは、書くものは軽薄で、すばらしい歌人というほどではない、と批判する。

だが、多くの場合は、歌詠みとしてどうか、という話を展開しているが、清少納言に関しては和歌への批判ではない。

すでに記したように、『枕草子』は、定子と敦康親王を盛り立てるプロパガンダの役割を負っていた。しかし、紫式部が清少納言を批判した時点では、すでに中宮彰子が敦成親王を出産しており、敦成を春宮(皇太子)にするという方向性が見えてきていた。

清少納言を批判し、ひいては定子のサロンを否定する。それは道長のおかげで彰子のもとへ出仕した紫式部にとって、どこまで意識的だったかはともかく、彰子のサロンと、そこで生まれた皇子を盛り立てるための、政治的行為だったのではないだろうか。清少納言が定子のサロンを、政治的なねらいもあって実際以上に美化したように。

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