精密加工部品の検査会社、「秦交精器」(長野県諏訪市)の社長、田中秦江さん(61)は「ピンセットだけですべての物をつかみたい」というほどのピンセット好き。高校卒業後、ピンセットを使った部品検査の仕事に就いて「天職だ」と喜んだのも束の間、日常が一転する事故が起きる。失明の危機や乳がん闘病を経て起業したのは54歳のときだった。ライターの山本奈朱香さんがリポートする――。(前編/全2回)
泰交精器社長の田中泰江さん(右)と、次女で同社専務の前田梨紗さん(左)
撮影=プレジデントオンライン編集部
泰交精器社長の田中泰江さん(右)と、次女で同社専務の前田梨紗さん(左)。泰交精器は、長野県諏訪市の諏訪湖のほとりにある

精密機械部品の検査は“天職”

久しぶりに身につけようとネックレスを手にしたら、チェーンが絡まっていた。絡まりをほどこうとしてもうまくいかず、出かける時間が迫ってきてイライラ……。こんな経験をしたことがある人は多いのではないだろうか。田中さんは小学生の頃、この絡まりをほどくのが得意で、困っている人がいないかと近所をまわって歩いていたそうだ。

高校を卒業して働き始めたころの田中さん
高校を卒業して働き始めたころの田中さん(本人提供)

「とにかくピンセットが大好き。ピンセットを使って絡まりを崩していくこととか、編み物や刺繍などの細かいこともとにかく好きでした」

高校を卒業すると、セイコーエプソンの子会社に就職した。セイコーエプソンの本社は諏訪市にあり、市内には関連会社が多い。田中さんは「家から近い」という理由で就職したが、それが「精密機械部品」との運命の出会いになった。

腕時計の細い針などの部品を一つずつ、ピンセットを使いながら顕微鏡で検査するのが楽しくて、社内で開かれた技能検定では、顕微鏡とピンセットの2部門で優勝した。

「検査って不思議なものなんです。一度判断がつかなくなって迷い始めると、1時間でも2時間でも延々と悩んでしまう。でも私は、ぱっと見た瞬間に良い悪いの判断ができる。製品をジャッジするのが得意で、『あ、精密が天職なんだな』と思いました」

「失明する」と言われて退職

しかし、入社して1年後に交通事故に遭う。事故の記憶はあまりないが、後ろから追突されてフロントガラスが割れたようだ。病院では「左目が失明する」と言われた。

子育て中の田中さん。3人の子どもたちと
子育て中の田中さん。3人の子どもたちと(本人提供)

もう、精密の仕事はできない……。会社を辞め、自宅で療養することにした。当時交際中だった今の夫に「こんなんだったら生きている意味がない」と悲しみや憤りをぶつけたこともあったという。

しかし、諦めずに治療を続けるうちに視力が回復。結婚し出産した後、自宅でできる内職を始めた。最初に取り組んだのは目に負担がかからず、幼かった子どもに危険がないようにと、大きめの部品を組み立てる仕事。しばらくすると、的確で丁寧な仕事ぶりが社長の目に止まり、パートとして会社に入ることになった。その頃には左目もすっかり良くなっていた。