プロ野球の名言「月に向かって打て」が的確だったワケ

ホームランを増やす“スポーツ版ナッジ”を理解しやすくするために、まずは「月に向かって打て」という名言を取り上げます。

この名言が生まれたのは、1968年のことでした。東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)の飯島滋弥打撃コーチが選手の大杉勝男に送った言葉です。

当時、大杉はプロ3年目。長距離砲として期待されていましたが、アッパースイング(ホームラン狙いの下から上に振るスイング)が原因で絶不調になってしまいました。自信なさげにバッターボックスに向かう大杉に、飯島コーチはアドバイスを送ろうとしました。

そのとき、中秋の名月がレフトスタンドの上、25度くらいの空に浮かんでいるのが見えました。ちなみにこの25度という角度は、セイバーメトリクスで知られる長打になりやすい打球の軌道、バレルにも近く、まさに最適な位置に月がありました。

そこで飯島コーチが送ったのが「月に向かって打て」というアドバイスです。

「月」と聞くと、遠くまで豪快なバッティングを要求しているように思われますが、実際は逆でした。アッパースイングをやめて、低い月に突き刺さるように鋭いスイングをしようと、理想の弾道を暗に示す金言だったのです。

環境を操作して最適な動作を生みだす「スポーツ版ナッジ」

アドバイスを受けた大杉はアッパースイングが矯正されたのか、打撃能力を開眼させました。

結果、プロ19年で、通算486本塁打、セパ両リーグで1000安打と記憶にも記録にも残る選手になりました。

この「月に向かって打て」で注目すべき点は、飯島コーチが打撃動作を具体的に指導しているのではなく、理想の動作(アッパースイングの改善)を導くことを狙いとしている点です。

本稿では、環境を操作することで最適な動作を引き出すことを“スポーツ版ナッジ”と呼んでいます。飯島コーチは月をゴールにすることでスイングを改善しており、スポーツ版ナッジの一例といえます。

では、このようなスポーツ版ナッジによるアドバイスは、実技指導する従来の練習と比べて、どの程度効果的なのでしょうか。このエピソードと似ているような状況で研究をした、アリゾナ大学のグレイの研究(※1)を紹介します。

※1:Gray, R.(2018). Comparing cueing and constraints interventions for increasing launch angle in baseball batting. Sport, Exercise, and Performance Psychology, 7(3),318-332.