「メジャー史上初の快挙」が何かと思ったら…

大谷翔平がジャッキー・ロビンソンを超えた⁉

ジャッキーといえば大リーグ初の黒人選手(その前にもいたという説もあるが)としてドジャースに入団。周囲や観客たちから手ひどい人種差別を受けながらも、大活躍したメジャー史に残る名選手である。

今、彼の背番後「42」はすべてのチームで永久欠番になっている。毎年4月15日は「ジャッキー・ロビンソンデー」に制定されており、すべてのチームの選手、コーチ、監督、審判が42番のユニフォームを着て試合に出場する。

そのジャッキーを超えたというのだから、さぞ凄い記録をつくったのかとスポニチ(7月8日付)を見てみた。

ドジャースの大谷翔平=2024年7月9日、米国
写真=共同通信社
ドジャースの大谷翔平=2024年7月9日、米国

大谷は7月6日(日本時間7日)対ブルワーズ戦で「4打席目までに1試合で記録した四球、死球、三塁打、盗塁は球団では1953年のジャッキー・ロビンソン以来71年ぶりだったが、5打席目の本塁打(28号=筆者注)でメジャー史上初の快挙を達成」したというのである。

おいおい、それって大記録なのかよ。草葉の陰でジャッキーは苦笑しているだろうし、アメリカの野球ファンがこれを読んだら、中には怒り出す者もいるだろう。

ベーブ・ルースではなく、野茂やイチローと比較すべき

私は、1976年10月11日に巨人軍の王貞治が通算715号を放って大リーグのレジェンド、ベーブ・ルースの記録を破った時、日本とアメリカの野球は別物、低いレベルの野球でいくら打ってもベーブと比べられるわけはないという猛烈な批判がアメリカで起きたのを思い出した。

たしかに、その当時、大リーグの選手たちがシーズン終了後、物見遊山もかねて日本でプロ野球チームと親善試合をよくやっていた。

だが、向こうは半分遊び気分で来ているにもかかわらず、日本のチームはだらしなく負けた。私は熱狂的な巨人軍ファンだったが、大リーガーと日本人選手の力の差をまざまざと感じて悔し涙を流したものだった。

そんな日本のプロ野球ファンを驚愕させ、歓喜の渦に巻き込んだのは野茂英雄であった。

日本人メジャーリーガー第1号は1964年に南海ホークスからフランシスコ・ジャイアンツに入団した村上雅則投手だが、今日の日本人選手の活躍の礎をつくったのは間違いなく、1995年にドジャースに入団した野茂であった。彼の活躍がなければ“二刀流大谷翔平”は誕生しなかったかもしれない。

野茂はメジャー通算123勝した。現在通算38勝の投手・大谷は、野茂を目指すべきだが、この記録を抜くのは厳しいだろう。

日本のメディアは、何かというとベーブ・ルースと大谷を比較したがるが、野茂の記録やイチローの通算成績、打率.311、安打3089、本塁打117、打点780、盗塁509という記録と突き合わせ、冷静に論じるべきではないか。