テレビ局がひれ伏しているのは大谷ではなく…
大谷が渡米してから7年目。その間に、大谷の人間的なエピソードは、犬のデコピンと真美子さんとの結婚(詳しい結婚までの経緯は謎のまま)しかないというのは、取材記者たちの“怠慢”といってもいいのではないか。
今回のケースのように、自宅を取材すれば大谷側から取材ストップがかかるのでは、よほど記者魂がある人間でないと、大谷翔平のグラウンド外での人間的な側面を取材・記事にすることはできないとは思う。
だが、スーパースターだけに焦点を当て、監督の采配、下位打線からでも得点できるドジャース打線の凄味、個々の選手たちの魅力についても報じることがなければ、大谷がいなくなってしまえば、大谷ファンは野球ファンとしては留まらないだろう。
長嶋や王が監督からも引退して、熱烈な長嶋ファンだった私のような者たちがプロ野球から離れてしまったように。
この国のスポーツ報道の問題点は、スーパースター至上主義で、自分たちが作り出したスターを批判できなくなってしまうところにある。健全な批判のないところに健全なスポーツの発展はない。東京五輪がそのいい見本ではなかったか。
今回の自宅報道で、報道する側は大谷に謝るところは謝る。しかし、報道する側の権利も主張するべきである。
私には、テレビ局は大谷にではなく「視聴率」にひれ伏しているとしか思えない。