「おじさんの頭を持って帰って来た」

文春は、1年後の今年6月4日に札幌地裁で開かれた浩子の初公判での冒頭陳述をもとに、こう書いている。

娘と夫がAを殺して首を家に持って帰ってきたことを知らなかった浩子は、二階のリビングで起床して、同じ階にある洗面所に向かった。

「浴室に見慣れないプラスチックのケースが置かれていた。中には、黒いゴミ袋のようなものが入っているのも見える。勝手に触れば、瑠奈の機嫌を損ねてしまうだろう。浩子は容器の中身を確認しなかった。

数時間後、三階の部屋から起きてきた瑠奈が、さらりとこう口にする。

『おじさんの頭を持って帰って来た』」(文春)

にわかに信じられるものではなかった。その場を取り繕った浩子は、翌日、ススキノで頭部のない遺体が見つかったというニュースを目にする。娘のいったことは本当だったのだろうか?

「その数日後のこと。浩子は瑠奈に呼び出された。

『見て』

普段と変わらない自然な口調だったため、浩子は警戒心を解き、促されるまま浴室に足を踏み入れる。目に飛び込んできたのは、洗い場に置かれている、皮膚を剥がされて全体が赤くなった人間の頭部だった――」(同)

この時の心境を浩子は、弁護士にこう語ったという。

「この世の地獄がここにあると思い、深い絶望感に襲われました」

なぜこのような娘が育ったのだろうか?

同級生の喉元にカッターナイフを突きつけ…

北海道で生まれ、北海道教育大学旭川校を卒業した浩子は、1993年3月、旭川医大卒で精神科医の修と結婚した。翌年2月、生まれたのが瑠奈であった。

一人娘だった瑠奈は、両親の愛情をたっぷり受けて育った。小さな頃の瑠奈は、友達を自宅に招いて遊ぶ普通の子どもだった。

だが、小学校2年生の頃から次第に不登校気味になっていったという。

両親はそれでも瑠奈の個性を尊重し、家庭教師をつけながら娘を見守ろうとしたそうだ。

この頃から、何事においても「瑠奈ファースト」という親子関係が形成されていったと、検察側は冒頭陳述で指摘したそうである。

だが、小学2年生の幼いわが子が不登校気味になっていれば、修のように精神科医でなくても、しばらく見守ってやろうと思うのではないだろうか。

だが、小学5年生の時、瑠奈が同級生の喉元に刃物を突きつける“事件”が起きた。

その当事者は、瑠奈の服装を「アニメのキャラみたいだな」といっただけなのに、急に筆箱からカッターナイフを持ち出してきて、馬乗りになられ、「次いったら刺すからな」といわれたという。