日テレは芦原さんの死の全ての責任を負うべきなのか
筆者は、日本テレビにはドラマの制作過程で生じたトラブル、事後の脚本家のSNS投稿に対する対応不足など反省しなければならないところは多々あるとは思う。また、脚本家がSNSに投稿する前に当事者同士で折り合いを付けられなかったものかとも思う。
ただ、芦原さんの死の責任までを彼らに負わせ、攻撃をすることは不当であるとも感じている。
前述の通り、完成したドラマは不当な原作改変はされていない上に、原作者も作品に満足していたと想定される。かつ、芦原さんの死の直前のメッセージを読めばわかるように、ドラマ制作側とのトラブルと芦原さんの死との間に因果関係があったと見なすことも難しい。
脚本家の投稿に傷ついて芦原さんが亡くなったということであれば、日本テレビや脚本家に道義的責任を取ることもできるだろう。しかし、芦原さんのメッセージをみても、その可能性は低いと思われる。
小学館も攻撃されているが、少なくとも担当編集者レベルでは、原作者に寄り添って、最終的には原作者の主張を制作者側に受け入れさせている。筆者には、非難に値するようなことは何もないように見える。
芦原さんの件を教訓にドラマ作りの在り方を探るべき
小学館の報告書には、芦原さんのブログ投稿後に「芦原氏が思いは果たしたので、予期していなかった個人攻撃となったことを詫びるコメントを出して、投稿を取り下げることになった」と記述されている。
実際に投稿は取り下げられた。しかし、芦原さんはXに「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」と投稿して亡くなった。「日テレは保身しか考えていない」「責任逃れをしている」といった批判合戦は、果たして芦原さんの遺志に沿ったものだろうか?
芦原さんの死の真相は公式には明らかにされていないが、両社の報告書、芦原さんのブログ、そして最後の投稿をすべて踏まえて考えれば、改めて見えてくるものがあるはずだ。
日本テレビと小学館の主張の食い違いは、いくら調査をやり直したところで埋めることはできないだろうし、芦原さんの死とドラマ関係者とのトラブルとの因果関係も明確にはならないだろう。当事者ではない第三者は、批判や攻撃を一旦おいて、今後、原作者が尊重されるようなドラマ作りのあり方がどのようなものかを議論したほうが建設的だと思う。