「ドラマはクソ」という主張はおかしい

原作者の芦原さんの死という悲劇を経て、「セクシー田中さん」に関して、「原作は良いけど、ドラマはクソ」といった声が聞かれた。

様々な圧力がある中で、原作者が納得のいくまで何度も手を入れ、原作にない部分は芦原さん本人が書いた(しかも脚本家が降板までした)。そして、最終的には原作者も満足している。そんな作品を、制作過程と放映後に起こったトラブルを見て全否定するのは、いかがなものだろうか?

ドラマ「セクシー田中さん」は制作過程で原作者と制作側で多くの行き違いが生じ、様々なトラブルが発生した。

ドラマ放映後には、降板となった脚本家がSNSに投稿し、それに対して原作者の芦原さんがブログとSNSに説明の投稿をして、第三者を巻き込んでの批判合戦が起きた。芦原さんの死は、ここが引き金になっていると思われる。

ドラマ制作時に起きたこの2つのトラブルについては、しっかりと反省して再発防止を図る必要があることは言うまでもない。

「原作のあるドラマはもう作るな」という主張は的外れ

SNSでは「もう原作のあるドラマは作るな」という批判まで出ているが、これはピント外れの意見であると思う。

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写真=iStock.com/brunocoelhopt
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両社の報告書を読むと、「原作者側が強硬に主張すれば、原作者の意向を通すことができる」という事実がよくわかる。

小学館の報告書では、著作人格権の中の「同一性保持権」について何度も言及されている。これは著作者の許諾なしに著作物を改変することは許されないという権利である。要するに、原作者と小学館は、これを盾に原作者の要求をドラマ制作側に呑ませたということなのだ。

今回のことから学ぶべきは、原作者、あるいは原作が尊重されるドラマは、現行の法体系でも十分に作れるということであり、それを実質的に可能にするためにはどうすればよいのかを考えることがこれからの課題であると思う。