当時の南京の人口は20万人に過ぎなかった

そもそも、当時の南京の人口が20万人に過ぎなかったということも、30万人虐殺説への有効な反論として提起されてきたところである。

こうした点を含めて、本来は、TPOに慎重に配意しつつ、対外発信の最前線に立つ外交官が効果的なインプットを試みるべきではないか。こうした発想から、2014年、総合外交政策局審議官の時に音頭を取って、歴史問題について、受け身で終わらない積極的な発信のラインを作って在外公館とも共有した。

この中では、「南京大虐殺30万人説」に対する反論、「慰安婦強制連行20万人説」に対する反論、「戦後処理日独比較」など、現場の外交官がしばしば接する批判に対する応答要領が初めて組織的に示されたのである。

その後、この資料がどのように活用されたか、寡聞にして知らない。おそらくは今の外務省にあってはお蔵入りし、殆ど活用されていないことだろう。しかしながら、歴史問題への対処に当たってのこうした視点、反論の必要性は年月を越えて変わらないはずだ。

誤解しないでほしいが、なにも居丈高に自国の立場だけを正当化せよ、ということでは毛頭ない。後述するように歴史問題のパラダイムシフトが起きつつある現在であるからこそ、相手方や反日勢力が今なお執拗に振りかざしてくる「歴史カード」を無力化し、戦後の日本外交を呪縛してきた制約要因を根気強く排除していく必要があるということなのだ。

「発信する場」としてのシンクタンクの役割

先述した外務省、警察組織の実態を見ると、歴史問題についてそれぞれの内部に様々な見解があり、国全体としての発信が統一されていない有様が理解されたと思う。また、歴史学者の間でも決着がついていない問題について、政府の人間が「有権的解釈」を下すのは困難であるというのも、歴史問題の特徴かもしれない。まさに、国内の分断が相手方に付け入る余地を与えているのである。

東京外務省
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そうした中、シンクタンクの役割は重要である。政府として断定的に言えない問題や、現役の人間が発言すると差し障りがあるようなことについて発信する場として、シンクタンクは最適である。

日本の外交官であった人間が「敗戦国は歴史を語る立場にない」と語るのは、さすがに自虐がすぎるが、「歴史は勝者によって書かれてきた」ことは一面の真実であろう。であれば、「勝者の歴史」にはとどまらない視点や見方を提示して、議論に広がりと深みを持たせることは是非とも必要だろう。「勝者の正義」(victor's justice)に多くの問題があることは、リチャード・マイニア教授の著書『東京裁判―勝者の裁き』(福村出版)を引くまでもなく、多くの心ある日本人、そして他国の人間も感じてきた問題であるからだ。