中国や韓国から「歴史問題」を問われたとき、日本はどう対応するべきか。前駐オーストラリア特命全権大使の山上信吾さんは「歴史戦とは、ナラティブ(言説)の勝負だ。今の時代に、今を生きる聴衆に対して、説得力ある形で日本の立場や考え方をインプットすることが求められている」という――。

※本稿は、山上信吾『日本外交の劣化』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。

中国の「南京虐殺30万人説」にどう反論するか

外務省だけでなく自民党や警察組織を含めた日本全体の空気やマスコミの論調を踏まえると、歴史問題でなかなか効果的な反論ができていない事情が理解できるだろう。

机の上に日本語と中国の国旗
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反論ができていない好例を挙げよう。

中国共産党が歴史戦で日本を批判する際に用いるカードのひとつとして、いわゆる「南京虐殺」がある。日本軍が30万人に及ぶ中国人を南京で虐殺したというのが、中国側の主張だ。この問題について長年維持され、今なお使われている政府の応答要領を見てみよう。

「1937年12月の旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為があったことは否定できないと考えているが、その具体的な数については、様々な議論があることもあり、政府として断定することは困難である」

要は、殺害、略奪行為は否定しないが、中国側が主張している30万人という被害者数には与しないとの趣旨と解せられる。

「虐殺などなかった」と主張する日本の保守派からの声に配慮して、「虐殺」があったとは認めない一方、「非戦闘員の殺害又は略奪行為」の発生を明示的に認めることで、左派、外国勢力に配慮し、かつ、市民が亡くなったことへの哀悼と反省の気持ちも表現するものである。換言すれば、日本国内の右と左のバランスをとった、優れて国会答弁的なラインと言えよう。

歴史戦に勝つには「国際常識」を知る必要がある

問題は、国際場裡では、この奥歯にものが挟まったようなラインでは何を言っているのかが不明瞭であり、「大虐殺」があったとして声高に喧伝して回っている中国側のキャンペーンに対する有効な反論には到底ならないことなのだ。これでは歴史戦に勝てるわけがない。

専門家が累次にわたり明らかにしてきたとおり、南京で悲劇があったとすれば、虐殺と称するような平時の逸脱行為ではなく、混乱を極めた戦地の市街地での戦闘行為に基づくものである。市街地での戦闘行為が民間人(シビリアン)を巻き込みかねないことは、古今東西共通の問題である。一例として、2003年に起きたイラク戦争で反乱勢力と闘った米軍が市街戦で如何に苦労したかは、マティス元国防長官の回想録がよく伝えるところである。

さらに南京では、攻め手の日本軍による度重なる降伏勧告にもかかわらず、中国側司令官の唐生智が降伏することなく、兵を残して自ら首都から敵前逃亡し、中国側に大混乱が生じたという、軍人として極めて恥ずべき特異な事情があった。そうした事情を受けて、多くの中国兵が日本軍に投降せずに軍服を市民服に着替えて逃げたり、抵抗を続けた問題(いわゆる「便衣兵」)がある。戦線から離脱しようとする中国側兵士を中国の督戦隊が後ろから銃撃する問題もあった。このような現場の状況を踏まえた上でこそ、漸く何が起きたかをよく理解できるようになるのではないか。