歴史問題は「国内問題」でもある

その意味で、政治のイニシアティブの下、兼原信克内閣官房副長官補(当時)がリーダーシップを取り、年間の政府予算5億円も投じて5年間余にわたって日本国際問題研究所が担ってきた歴史、領土問題について日本の立場を発信するプロジェクトは画期的だったと今も思う。私も同研究所にいた際に深く関わったが、とりわけ、日本人の史観やものの見方を英訳して欧米の有識者に提示するという作業は、今まで日本に欠けていた努力であり、非常に貴重なものである。

兼原信克 内閣官房副長官補兼国家安全保障局次長
兼原信克内閣官房副長官補(当時)(写真=Wikimedia Commons

そうした作業のお蔭で、江藤淳氏の『占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間』(文春文庫)や岡崎久彦氏のいわゆる五巻本〔『陸奥宗光とその時代』(PHP研究所)に始まる日本の近現代の政治外交史〕、呉善花氏の『侮日論 「韓国人」はなぜ日本を憎むのか』『韓国併合への道』(いずれも文春新書)といった書籍が次々と英訳され、欧米等の有識者に提供されていくことの意義は強調してもしきれないと思う。

同時に、歴史問題については日本人自身の歴史認識が割れていて日本社会の中で深い断層があることを踏まえれば、どうやってこの問題が日本外交の手かせ足かせとならないようにするかを恒常的に考え、知恵を出していかなければならない。

まさに、歴史問題は国内問題でもある。相手国勢力が日本社会の断裂を奇貨として、二国間関係で譲歩を迫り、かつ、国際社会で日本の足を引っ張る材料として歴史カードを利用し続ける限り、我々もこれに対する備えを片時も揺るがせにしてはならない。

「今の日本がどうであるかが重要」という論点

歴史問題が取り上げられた際のひとつの有効な反論は、民主主義、人権尊重、法の支配、市場経済といった基本的価値を欧米と共有する平和愛好国家としての日本の戦後の歩みを強調し、さらには経済成長、経済協力を通じた国際社会への貢献をハイライトしていくことである。歴史カードを振りかざす中国や韓国の勢力との差別化でもある。

約80年前に何をしたか、何があったかという議論よりも、今の日本がどうであるかが重要という論点であり、特に第三国との関係では最も有効な議論となり得る。国内での政治的立ち位置が右であろうが左であろうが、賛同を得やすい議論でもある。

個人的には賛同できかねるところも多いが、Wokeカルチャー(社会的正義を強調する動き)やBLM運動(Black Lives Matter. 白人中心の世界観、歴史観への異議を表明)が昂じて既成のものの考え方に異議を呈する動きが出てきていることも、注目に値する。今後の展開を注意深く見ていく必要はあるが、「修正主義」というレッテル貼りを恐れることなく、発信すべきメッセージを発信できる余地が広がっていることを意味するのかもしれない。

畢竟、歴史戦とは、ナラティブ(言説)の勝負なのである。今の時代に、今を生きる聴衆に対して、説得力ある形で日本の立場や考え方をインプットする。この戦いこそ、歴史戦の本質であり、日本の効果的な対外発信が期待されるのである。