TOPIC-4 自己啓発書を多く読むとどうなるか

TOPIC-2で紹介したように、フォルカー・キッツさんらの『仕事はどれも同じ』では、給料、ステータス、有意義さ、楽しさ、興味深さといった仕事の諸側面について、「そのすべてを考慮せよ!」(キッツ・トゥッシュ、69p)とされていました。「一つだけの動機を抱いて職業選択を行なえば、あなたを満足させてくれる仕事など世界中に一つもない」(75p)のだから、「『期待の危機管理』を行なって複数の期待を抱けば、大いに失望することはほとんどなくなる」(75p)というわけです。

しかし、今回とりあげた著作の多くでは、しばしばひとつの側面に注目した仕事論が展開されています。端的に言えば、自分自身の気持ちを何よりも重視しよう、ということです。キッツさんら自身、仕事における満足した気持ち――ステータスへの満足、有意義さ、楽しさ――はやがて慣れによって鈍化していくと述べるにもかかわらず、自分自身の日々の仕事を「幸せと感じる」(174p)こと、つまり自分自身の気持ちを肝要な点としていました。もう少し言えば、慣れがあるからこそ、キッツさんらは「期待の危機管理」を行うことを主張し、また幸せを感じるための「トレーニング」を読者に多数課しているのでした。

今挙げた例から言いたいことは単純で、自己啓発書の間にはしばしば主張の矛盾が見られるということです。もう少し例を挙げてみましょう。

西多昌規さんの『今の働き方が「しんどい」と思ったときのがんばらない技術』では、前回少し紹介したように 「All or Nothing思考」がストレスを高めてしまうとして戒められていました。「白か黒か、ゼロか100か、勝ちか負けか。完全主義傾向のある人は、二分法で考えがちです」(西多、34p)というわけです。このような二分法的思考を西多さんは問題ありとし、極端な結論を出して「その結果イライラしたり、失望したりしてしまう」(39p)ことにつながると論じています。また西多さんは「All or Nothing思考」は誰にでもあるとする一方で、うつ病の人などで特に目立つとも述べていました。

しかし、今回だけではなく、これまでの連載でずっと見てきたように、自己啓発書における基本的なロジックは二分法です。成功する人はすべてこうだ、失敗する人はすべてこうだ、というわけです。今回の内容で言えば、すべて自分の責任と捉える「本当の意味での自責」か、他人に責任をなすりつける「他責」か。自分が楽しい、やりたいと思う仕事をするか、辛く、しんどく、楽しくない仕事をするか、等々。

他にも西多さんの著作では、「仕事のみが生きがいで、毎日遅くまで残業し、休日にも仕事のことを考えているような人のことを仕事依存症候群、あるいはワーカホリズムなどと呼ばれることがあります」(134p)という言及もあります。そして、「ワーカホリズムになると、心身にさまざまなトラブルが生じてきます。特に問題が表れるのは30代からが多く、うつや不安、不眠などの症状を訴えることがあります」(135p)と述べられています。

これについても、たとえば岩瀬大輔さんの『入社10年目の羅針盤』では、「仕事とプライベートの境を持たないほうが平日も楽しめる」(岩瀬、186p)という、ワーカホリズムと言ってもよい考えが紹介されていました。第3テーマの「年代本」でも、仕事とプライベートを分けないライフスタイルが称揚されていました。

ここまでを整理しておきましょう。仕事においてはひとつの側面(心)のみを重視すべきなのか、すべてを考慮すべきなのか。二分法で考えることはよいことなのか。仕事とプライベートを分けない働き方をすべきなのか――。これらは一例に過ぎませんが、自己啓発書を読み重ねていくこの連載で私がつねに思っていたのは、このような啓発書間の矛盾でした。

自己啓発書は、仕事論に限らず、「これが答えだ!」というメッセージを与えてくれるものです。啓発書を1冊だけ手に取ってすっきりと「答え」が得られたならばそれでよいのですが、「もっと色々考えてみたい」「もう少し違う考え方もあるのではないか」と次の啓発書を手に取るとき、啓発書間の矛盾に直面せざるをえません。より熱心に、さらに何冊も手に取れば取るほど矛盾はますます現われ、「答え」は簡単には見つからなくなってしまいます。このような事態について、どう考えるべきでしょうか。