「自転車は歩行者とは違う」と叩きこむ
まずは教育。
何よりまず「自転車は歩行者とは違う」「自転車は車両である」という教育こそが先決だ。自転車は歩行者の仲間と思っているからクルマの免許を持っていても「自転車はいいだろう」という甘えが出てくるわけで。
教育の場がない、場がないというが、場を作ろうとしないから、ないだけだ。学校で、自動車の教習所で、免許の書き換え時、住民登録の際、やれる場はいくらでも作れる。
その際に「自転車はこうあるべし」と教える。こんなに国民教育の平均値が高い国で、なぜそれができない。やろうとしないからだ。
免許というものは、教育がまずありきで、それでも無理なとき、はじめて議論すべき制度だろう。それをせずして免許というのは、もうこれは仕事を増やし、天下り先を増やそうとする(?)どこかの不埒な役人のワルダクミとしか思えない。
先述したように、そもそも海外に「自転車免許がある国」がどこにあるか。どこにもないのだ。なぜこの日本でだけ自転車免許が必要なのか。その理由をもっとよく考えていただきたいものだ。