自転車を免許制にしている国はない

クルマ免許を持っていても、自転車に乗るときだけは右側通行上等、信号無視OK、の無法者になる。

それが日本の自転車状況のリアルであり本質なのだ。……ということは免許で変わるだろうか? いや、普通に考えて変わらんだろう。

それに、ちょっと考えてみよう。自転車に乗るのに免許を必要とする国など、世界のどこにもない、という事実を、だ。

なぜないのだろう? そこには理由があるのである。

筆者の「ゴールド免許」
筆者の「ゴールド免許」。自転車の運転もゴールドだ(と思う)。(筆者撮影)

まずは、そもそもの免許、つまり「国家が○○することを免じて、許す」という意味をまずは考えなくてはなるまい。

クルマの免許というのは、国が「移動手段の自由」を制限することの裏返しだ。ではなぜ制限するのか。それはクルマというものはそのまま走らせるには危なすぎるから。

クルマは危険だから、基本的に公道を走ってはならないものである、と、これが基本だ。

「免じて許す」の意味を考えよ

だが、そうして「全部、ダメ」とするには、クルマは、あまりに便利で、あまりに社会の利益に資する点が多すぎる。

であるからして、クルマを安全に運転するだけの技量を有し、運転するに際してのルール厳守を誓った者だけに、一般公道をクルマで通行することを“免じて”“許す”。

これが免許だ。

あえて刺激的な言い方をするなら、クルマというものは、免許が必要なほどに、危険で未完成なものなのである。

だから「こちとら免許があるんだ、ドケドケ自転車」みたいな考えは根本から間違っている。免許があるからエラい、のではなく、免許が必要なほどにエラくない。

「車道を走る以上、免許が必要だ」ではない。「人にぶつけたら殺人、建物にぶつかったら大破壊、他者に対しての危険が著しく大きい車両だから、免許が必要だ」が正解なのだ。自転車はどうかな?

……とまあ、話はこれで終わっているくらいなのだけど、そこはそれ、頭の体操として考えてみよう。

自転車に免許? それはいったいどんな免許になるのだろう。