20万部超という異例の売れ行きを見せている本書。
「アングロサクソンが植民地から出ていくときは、必ず領土問題を残しておく」という指摘や、60年安保闘争の背景の記述は興味深い。陰謀論の一言で片付けるのは、手放しの肯定と同様に安易であろう。
「たとえ正論でも、群れから離れて論陣を張れば干される。大きく間違っても群れのなかで論を述べていれば、つねに主流を歩める。そして群れのなかにいさえすれば、いくら間違った発言をしても、あとで検証されることはない」(340ページ)ような日本の言論界で、これまでタブー視されてきた米国の圧力・意向という視点から戦後史を見直した著者をリスペクトしたい。
そのうえで、あえて重箱の隅を突こうと思う。
尖閣諸島の領有権について、本書は1972年の沖縄返還時までさかのぼる。69年11月、ニクソン米大統領と佐藤栄作首相(いずれも当時)は、沖縄返還に絡んで核兵器持ち込みと繊維交渉の2つに関する密約を結んだ。後者は、米国向けの繊維の輸出を自主規制するという重要な内容だった。しかし、日本は結局この密約を守れなかった。それに対する米国の報復が、71年のニクソン訪中と尖閣諸島に対する態度の2つだという。著者は米国の歴史学者M・シャラー著『「日米関係」とは何だったのか』から次の一節を引用している。「尖閣諸島について米国務省は日本の主張に対する支持を修正し、あいまいな態度を取るようになった。佐藤の推測によれば、ニクソンと毛沢東のあいだで何かが話し合われたことを示すものだった」(254 ページ)。
ところが著者は、前著『不愉快な現実』(講談社現代新書)の中で、「留意しておかなければならないのは、米国は『尖閣諸島の領有権に関して一貫して、日中いずれの側にもつかない』という立場にあるということだ」(同書113ページ)と記している。
ここに2つの矛盾がある。1つは尖閣諸島に対する米国の態度だ。前著では“一貫してどちらにも加担しない”だったが、新著では“日本への支持を修正した”へと微妙に変わっている。ここは今後、米国が態度を変える可能性の有無を判断するうえで重要なポイントである。
もう1つの矛盾は、「領土問題が米国に意図的に仕組まれている面がある」という指摘だ。この一文は、“英国が植民地から撤退するときは、後で植民地どうしが団結して英国に向かってこないよう紛争の火種を残しておく”という文脈の延長上に書かれているので、尖閣問題に関する米国の意図が第二次大戦終了時にまでさかのぼると読める。すると、71年の繊維交渉に対する意趣返しだとする先の記述とは違ってくる。
こうした微妙なブレをあえて指摘するのは、「本当はどうだったのか」についての議論を深めていくためだ。“群れから離れた論”である本書は、そうするだけの価値がある。