人生、著作一覧、名言……雑誌記事における定型化

2000年代の雑誌記事でもまた、ドラッカーの「入門」「要約」に関する記事が多くなっています。こうした記事の構成要素はほぼこの時期に定型化します。つまり、ドラッカーの人生が追われ、著作一覧が掲載され、そのポイントが解説され、幅広い交友録が紹介され、名言が紹介され、ドラッカーの知見を活用している経営者や組織が紹介されるというスタイルです。

たとえば2001年3月3日号『週刊ダイヤモンド』では「日本経済は甦る!P.F. ドラッカーの大預言」という特集が組まれていますが、ここではドラッカーとソニー会長兼CEO(当時)の出井伸之さんとの冒頭の対談の後、「あなたの問題を解決する ドラッカー全著作目的別活用法」「何をどう読むか! 目的別ドラッカー著作全紹介」「P.F. ドラッカー年譜」というコーナーが並び、ドラッカーの思想の全容が分かるようになっています。この特集では他にも、「経営者が語る ドラッカー思想がわが社の経営をこう変えた」という経営者へのインタビューも見ることができます。

ドラッカーを自己啓発のツールとして使おうという傾向も、やはり雑誌記事において見ることができます。たとえば2005年6月13日号の『プレジデント』では、「ドラッカー流『捨てる、断る、切る』技術」として、ノンフィクション作家の枝川公一さんがドラッカーからハウツーを切り出しています。これは拙著『自己啓発の時代』でも書いたことですが、2000年代に『プレジデント』が大きなリニューアルを行い、歴史的人物に範をとる路線から、ビジネスハウツーを扱っていく路線へと変更した文脈の中にドラッカーが差し込まれているというように理解することができます。

こうした「入門」「解説」に関する雑誌記事を見ていくと、この頃から、ドラッカーの邦訳を一手に引き受けてきた、上田惇生さんが多く登場するようになっていることに気づきます。もちろんそれ以前からも時折見ることはできたのですが、2000年代から上田さんの露出量は一気に増加します。おそらくこれは翻訳者ではなく、「はじめて読むドラッカー」や「ドラッカー名言集」の編訳者という仕事をされたこと、そしてドラッカー自身が以前ほどに自ら日本のメディアに活発に登場しなく(できなく)なったことが原因だと考えられます。

いずれにせよ、ドラッカーが最晩年を迎えるこの時期、そして後述するように2005年暮れにドラッカーが亡くなって以降、「日本での分身」とも呼ばれる上田さんの露出はますます増えていきます。上田さんは2003年から『週刊ダイヤモンド』誌上で「3分間ドラッカー」という連載も始められていますが、これは上述したドラッカーの「入門」「要約」「図説」化が進んでいた当時の動向に即したもの(その端的な表われ)と位置づけることができると思います。

雑誌記事におけるドラッカー観を整理しておくと、その基調となるスタンスは「ドラッカーに学ぶ」「ドラッカーをよく知ろう」というものだと言えます。特にビジネス誌においては、ドラッカーへの批判的言及はほとんど見ることはできません。批判的言及は、それ以前と同様に、週刊誌の寸評等で散見される程度でした。たとえば、『プロフェッショナルの条件』は「すぐさま妙にやる気にさせてくれる」「読むドリンク剤だ」(『週刊プレイボーイ』2000.10.17「売れてる本には理由がある 週プレだったらこう読むね。」)、というようにです。