著作が多すぎて選べない――逝去から『もしドラ』前夜まで
2005年11月11日にドラッカーは逝去します。雑誌メディアでは多くの追悼記事・特集が組まれましたが、その際のドラッカーの語られ方は生前と大きく変わることがなかったように見えます。
繰り返しになりますが、つまりドラッカーの人生、著作リストやポイント解説、交友録、名言紹介、ドラッカーの知見を活用している経営者へのインタビューといった記事パターンが踏襲され続けたということです(『週刊ダイヤモンド』2006.1.14「特別追悼特集 知の巨人ドラッカー」、同誌2009.11.14「社会に貢献し、未来をつくる人たちへ!21世紀も生き続けるドラッカー入門」、『THE21』2009.9「30分でわかるP.F.ドラッカー入門」など)。
ドラッカーの入門・要約書や、ドラッカーの知見を自分自身の啓発、いわば「自己マネジメント」のために用いようとする書籍も、この時期刊行が続いています。中野明『ポケット図解 ピーター・ドラッカーの「マネジメント論」がわかる本』(秀和システム、2006)、藤屋伸二『図解で学ぶドラッカー入門』(日本能率協会マネジメントセンター、2009)、一条真也『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考――一流の思考が身につく!47の実践テクニック』(フォレスト出版、2009)、等々。とはいえ何よりもこの時期は、「ドラッカーの分身」たる上田さんが『ドラッカー入門――万人のための帝王学を求めて』(ダイヤモンド社、2006)を出されたことも大きいと思います。
こうした状況は、ドラッカーが逝去したことで、その著作や思想の整理が促進される機運になったこともあるかとは思いますが、連載の1つめのテーマであった「自己啓発書ガイド」の登場に近い背景もあると考えています。たとえば上述の『THE21』の特集では、「著作が多すぎて選べない。いったいどれから読めばいい?」という記事が掲載されていました。つまり、ドラッカーは著作だけでも膨大なものがあるにもかかわらず、2000年代に「アンソロジーもの」の刊行が相次ぎ、その言及範囲がますます広がっていく中で、「ドラッカー・ガイド」の必要性が考えられるようになったというわけです。ある種、マッチポンプ的な構造という気もするのですが。
さて、次回はいよいよ『もしドラ』以後を扱うわけですが、その直前となるこの時期既に、企業以外を対象にマネジメントの手法を活用しようとする提言や記事が現われ始めていました。たとえば開業医向けの雑誌『ばんぶうCLINIC BAMBOO』の2007年8月号では、「P.F.ドラッカーの格言に学べ! 『選択』と『集中』による診療所の“特化戦略”を考える」という特集が組まれています。同特集は上田さんの解説を導きとしながら、ドラッカーのマネジメント手法の診療所経営への活用が推奨されています。
より応用性の高いものとしては、2006年4月18日号の『日経ビジネスアソシエ』に「偉大なるドラッカーが遺した恋愛マネジメントの教え」という記事が掲載されています。ここでは経済評論家の山崎元さんが、「組織のマネジメントなどという辛気くさいものに悩む人はほんの一握りだろうから、恋愛成就のために、自分をどうマネジメントしたらいいかに翻訳して、泰斗の教えをお伝えする」として、「独自の強み」を活かして恋愛において「成果を得る」ハウツーについて論じられています。
これらの記事から言えるのは、『もしドラ』以前から既に、企業以外にもマネジメントの手法を活用しようとするドラッカーの応用論が存在したということです。ただ、量としてはかなり少ないものでした。ドラッカー自身、『非営利組織の経営』のような、企業以外の組織にもマネジメントのまなざしを向けようとする端的な著作をものしていますが、同書の活用はNPO論そのものに当時は留まっていました。議論をやや先取りすると、『もしドラ』以後、こうした応用論が急激に増えていくことになります。
『ポケット図解 ピーター・ドラッカーの「マネジメント論」がわかる本』
中野 明/秀和システム/2006年
『図解で学ぶドラッカー入門』
藤屋伸二/日本能率協会マネジメントセンター/2009年
『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考-一流の思考が身につく!47の実践テクニック』
一条真也/フォレスト出版/2009年