『もしドラ』を平凡な事象として把握する
『もしドラ』は空前のヒットであるがゆえに、そこにヒットの「決定的な要因」や「成功法則」があるのではないかとどうしても思いたくなります。しかし私が中嶋さんからお話を伺うなかで思ったのは、最初から一貫した販売促進の戦略が揺るぎなくあるわけではなく、関わっている人たちが状況の変化に応じてその都度考え、動き、言ってみれば「走りながら」のかたちで販促が展開されて、このヒット作は生まれているのだなということでした。
具体的に、刊行前後に起こったことを追っていきましょう。ある種の葛藤が抱えられつつ、でもいいものだと信じて出来るだけの販促はしようとして送り出したところ、非常に初動の反応がよく(ここでは各地の書店員が面白がって手書きポップを多く作ってくれたという話もありました)、増刷が続き、メディアでの紹介も増え、やがてプロジェクトチームが立ち上がることになる(ドラッカーの邦訳を一手に引き受けているという社の状況も、チームの立ち上げと活動の追い風になっているとのことでした)。このなかで、従来的なメディア露出だけでなくツイッターも使ってみようということになり、思考錯誤しながら使っていくなかで略称『もしドラ』も定着し、それがさらなる反響を呼んでいく――。
おそらく、アニメ絵の装丁を採用した類書が出たとしても、また『もしドラ』と同様の販促戦略をとったとしても、同書に比肩するヒットを生むのは難しいでしょう。そう考えるなら、同書から性急にヒットの要因や法則を抜き出そうとするより、事態を(悪い意味ではなく)平凡に捉え、その事態の推移をつぶさに追い、味わうことの方が、私はこの空前のヒット作から学ぶことがむしろ多いのではないかと考えます。
しかしながら、具体的な話は次回以降に行いますが、現在の『もしドラ』(ドラッカー)論にはそのような視点はほとんど見ることができません。あるのはほぼ、先に述べたような「『もしドラ』(ドラッカー)がすごい!」「『もしドラ』は内容が時代にマッチしたから売れたのだ!」「『もしドラ』を例にしてもっとドラッカーを活用しよう!」という声ばかりなのです。
さて、ここで今回のテーマに立ち戻ってみましょう。そもそも、いつから「ドラッカーはすごい!」と言われるように(言われるばかりに)なったのか。ドラッカーという人物の評価は日本においていかなる変遷をたどり、今に至っているのか。次回から3回をかけて、現状に至るまでの「ドラッカー観の系譜」をたどってみたいと思います。それらを踏まえて、もう1回をかけて、「ドラッカー(もしドラ)・ブーム」とは一体何なのかということを考えることにします。