編集者に聞く『もしドラ』の葛藤

とはいえ、現状についてしっかり事実を確認しておくことは必要です。そこで、ドラッカーの著作の邦訳を現在一手に引き受けている、また『もしドラ』の出版元でもあるダイヤモンド社の編集者にお話を伺ってきました。今回お話を伺ったのは、書籍編集局第一編集部編集長の中嶋秀喜さんです。以下では、近年のブーム以前の状況、ブームの火付け役である『もしドラ』の制作や販売、それ以後の状況についてのお話をそれぞれ簡潔に整理していくことにします(以下、文責はすべて、伺ったお話を整理した筆者に帰属します)。

まず『もしドラ』以前から整理します。ブーム以前の、ドラッカーに関する大きな企画として中嶋さんが挙げられていたのが、「はじめて読むドラッカー」シリーズの刊行でした。1990年代の後半頃から、ドラッカーの入門書を手がけようという話が、ドラッカーの邦訳を一手に引き受けている上田惇生さんとの間で出始めたそうです。それが後に、ドラッカーの論文(あるいはその一部)の精選集である、上述シリーズの刊行に結実することになります。

シリーズの「自己実現編」である『プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか』(ダイヤモンド社、2000)は、広く経営や社会を論じてきたドラッカーが自己実現について語るということが、当時としては意外性をもって受け止められたそうです。同書の出版によって、まだ経営を考えるには至っていない若い読者の開拓に成功したとのことでした。また、ドラッカーの「名言」が多く盛り込まれた同シリーズは、企業が研修用に大量注文するなど、大きな反響があったそうです。

他にも、ソフトカバーの「ドラッカー選書」シリーズ(1995-2004)、2006年からの「ドラッカー名著集」シリーズの刊行等、私なりに表現すればドラッカーに関する「テコ入れ」は逐次行われていたようです。後者はドラッカー生誕100年(2009年)を念頭に刊行されたものでもあったようです。また2009年9月に、コピーライターの糸井重里さんが「ほぼ日刊イトイ新聞」で上田さんと対談したこと(後に「週刊ダイヤモンド」誌上にも掲載)も大きな反響を呼び、読者層の拡大につながったとのことでした。こうした各種の「テコ入れ」の先に登場し、結果としてその最も大きなものになったのが『もしドラ』でした。

著者の岩崎さんが各メディアで幾度も語られているのでご存じの方も多いと思いますが、同書は岩崎さんがブログに『もしドラ』の冒頭部分になる記事を掲載し、ダイヤモンド社書籍編集局第三編集部(当時)の加藤貞顕さんがそれに興味を持って声をかけるところから動き出します。そこから半年をかけて執筆され、上田さんも問題ないと太鼓判を押したところで2010年12月に満を持して出版されることになります(加藤貞顕「異色の大ヒットビジネス書『もしドラ』はこうして生まれた~仕掛け人が語るミリオンセラーへの軌跡と、売れる企画の法則~」アカデミーヒルズ、2011年5月20日掲載回)。

『もしドラ』のヒットを追いかけた雑誌記事や、加藤さんの講演記録などを見ると、2010年の2月頃、10万部を突破したあたりでプロジェクトチームが組まれ、100万部を目指した販売促進活動が行われたことが分かっています。一見すると、こうした販促の産物として『もしドラ』のヒットを解釈したくなります。加藤さん自身も、販促やマーケティングの成功例として『もしドラ』を語っています。もちろん、販促等の効果は小さくないとは思うのですが、私自身が面白いと思ったのは、こうした販促のプロセスについてでした。

『もしドラ』を世に出そうとする頃、同書が売れるかという点については、社内である種の葛藤があったとのことでした。つまり、内容については面白いという確信があったものの、アニメ絵のイラストの書籍が大部売れるかどうかについては社内でもこの時点では意見が分かれており、未知数の部分があったというのです。

『もしドラ』より以前、同じく加藤さんの編集のもと、アニメ絵装丁の保田隆明『投資銀行青春白書』(ダイヤモンド社、2006)が手がけられていました。同書は発行部数14000部と、決して売れなかったわけではないのですが、大ヒットというわけでもありませんでした。また、他社からアニメ絵装丁の書籍が大ヒットしたという先例もなかったため、装丁に関しては意見が分かれるところだったようです。

プロフェッショナルの条件-いかに成果をあげ、成長するか』
 ピーター・F・ドラッカー/ダイヤモンド社/2000年

投資銀行青春白書』
 保田隆明/ダイヤモンド社/2006年