「商人不要論」は幾度となく唱えられる。商人は「取引数最小化の原理」から市場の効率を上げるだけの存在として説明される場合が多い。だが彼らはより重要な仕事を担っていると筆者は説く。

なぜ世の中に商人が存在するのか

テレビの時代劇を時々見る。それも、遠山の金さんや大岡越前など、何年も前に放映が終わった類の時代劇を見てしまうこともある。そうした時代劇は勧善懲悪のストーリーで、その悪役には、役人とそれと結託する商人がよく登場する。商品を独占し販売制限をして大儲けして、その分け前を役人に渡すという構図だ。一所懸命モノを作っておればまだしも、農民が苦労して作った産物を、単に右から左に流すだけで大儲けするとなると、あくどさたっぷりだ。この構図は単純すぎるとしても、「商人とは、一所懸命生産する奴の上前をはねて、何もしないで自分だけ得をする」というイメージに、時代劇を見る多くの人はつい納得してしまう。

そこから、商人不要論はすぐそこだ。供給者と需要家が直接取引すれば両者にとって一番いいはずなのに、その間にわざわざ入ってきて口銭だけをとっていくのが商人。彼を排除すれば、もっと理に合った世界になるはずだというわけだ。

商業論や流通論という研究分野は、そうした世の常識に対抗して、商人が世の中になぜ必要とされるのかを説明するのが課題だったと言っても過言ではない。マルクスの「商業経済論」、新古典派経済学の「取引費用論」、さらに流通業務をサービスとして捉える「流通サービス論」と、商業を解明する理論はいくつかある。ただ、いずれの理論も、商人の存在根拠を、「取引数最小化の原理」としてその基本のところで認めるという点では、共通する。

その原理について、きめの細かい数学モデルもあるが、基本的な言い分は単純だ。100人の買い手と100人の売り手がいるとしよう。計200人のそれぞれが満足できる取引をするには、100人の買い手と売り手が互いに接点をもって交渉する必要がある。そうなると、100×100=1万の売り手と買い手の交渉の接点が生まれる。

だが、ここに1人の商人が出てきて、売り手と買い手の間をとりもつと様相はガラッと変わる。その商人は、100人の売り手と100人の買い手、合わせて200の接点で間に合わすことができる。つまり、1人の商人が介在すれば、最適な取引のために1万ポイントの接点が必要であったものが、200ポイントの接点で済ますことができる。これが、取引当事者の数が1万とか10万とかになってくると、商人が1人介在することの経済性はさらに大きくなる。1人の商人が介在することで取引数が最小化する、これを取引数最小化の原理と呼ぶ。

商業論や流通論の教科書を見てもらったらいい。ほとんどすべてにおいて、商人の存在根拠を説明するのにこの原理を用いる。だが、本当に商人の存在根拠は、そこにあるのだろうか。実際に、商業あるいはマーケティングに従事している読者の皆さんは、それで納得されるのだろうか。