「勇太君の生活とか人生は豊かなものですか?」
5年前に本書を執筆したとき、母へのある質問に続くやりとりを丸ごと割愛した。それは次のようなことだ。勇太君の人生は山あり、谷ありだったと言ってもいいだろう。プールで指導員に罵倒されたこともあった。でも初めて言葉が出たときの喜びもあった。谷があるから、山が際立つ人生だと言える。
私は自閉症の子どもの生きる道は、大まかに言って平板なものかと思っていた。だがインタビューをしているうちに、勇太君には彼なりの豊かな世界があるような気がしてきた。トイレの水流に熱中するのは世間の基準からすれば少し不思議な興味には見えるが、それはそれで熱中できる何かを持っているのは若者として中身の詰まった生き方に見えた。そこで母に尋ねた。
「勇太君の生活とか人生は豊かなものですか?」
すると母は「うーん」としばらく考え込んだ。1分くらい黙り込んでしまったのである。
「どうでしょう? 豊かと言えるでしょうか。くり返しが多いし、むしろ平凡な毎日じゃないでしょうか……」
これは意外な答えだった。返答があまりにも歯切れが悪かったので、このインタビュー部分は原稿から落とした。
あれから5年経ち、私はもう一度、同じ質問をしてみた。今度は間を置かずに返事の言葉が出た。
「そう思います。豊かに生きていると思います」
私には「なぜですか?」と重ねて聞く必要はなかった。答えはすでに母の言葉の中にある。大人になっても人は成長する。成長し続ける勇太君は間違いなく豊かに生きていると言えるだろう。
5年という時間は大きい。つくづく私はそう思った。