人の気持ちがわからない。人間に関心がない。コミュニケーションがとれない。そんな自閉症児の勇太くんと母親の歩みを、小児科医の松永正訓さんが描いたノンフィクション『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』が発売5年を経て文庫化される。新たに書き下ろされた「20章 あれから5年 文庫本のためのエピローグ」より、一部を紹介する――。

一人で料理を作れるようになった

勇太君のこの5年。就労だけでなく、さらに自立が進んだ。日曜日に勇太君が出かけるもう一つの場所は料理教室である。本人はイヤイヤ行っている節があるが、これは自立のために避けて通れない。勇太君は手先があまり器用ではないし、教室の先生から「四等分に切って下さい」とか言われると意味が分からないこともある。そういうときはストレスのようだ。しかし隣で料理を作っている生徒さんの様子を見ながら、自分も真似しながらなんとか作っている。

料理教室で覚えた料理は、自宅でも実践することがある。餃子などは具から丁寧に作り、皮に包んで、焼き上げる。キャベツを均等に切るとかのこだわりは必ず守るので、意外と料理は上手といえそうだ。

夕日を見ているイメージ
写真=iStock.com/Chalabala
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買い物も自分で出かけて済ますし、近隣のクリニックを受診することも一人でできる。もっともそういう場合は、母が病状をLINEに書いて、それを勇太君が医師に見せるようにしている。しかし受付から会計までやり遂げる。処方箋もしっかりもらってくる。歯科の受診の際には、母に告げず自分の判断で予約を取るということもできるようになっている。

「息子さんがトイレの前で騒いでいる」と通報

先日、母は検査入院で一泊自宅を空けた。以前ならこういうときは、ヘルパーに来てもらうか、ショートステイに勇太君を預けていた。しかし今回は、勇太君は自宅で一人で過ごした。一人でできることが増えると自信になる。自信がつくと一人でやってみようと思う。この好循環が勇太君をさらに成長させている。

勇太君が社会との接点で一番困難を抱えるのは、彼のパニックである。しかしこれも変わりつつある。

1年前のこと。勇太君は日曜日にいつものようにトイレ散策に朝から出かけた。商業施設の多目的トイレを訪れ、便器の品番をチェックし、水流を動画撮影していた。母は仕事のため外出していた。すると14時頃に、母の携帯電話が鳴った。横浜市の戸塚警察署からだった。

「息子さんがトイレの前で騒いでいると通報がありました。それで保護者の方にお電話した次第です」

母は驚きはしたが、常に覚悟していることでもあった。おそらく不審者と思われて通報されたのだろう。