夢を叶えるまでに28年の歳月がかかった

英会話教室は半年で弟にまかせた。札幌に出た彼は広告代理店に勤める。最初は弱小プロダクション、その後、博報堂のアルバイト、最後はパブリックセンターという道内で知られた代理店に勤務。次長職となる。この間、結婚、ふたりの子どもに恵まれる。広告界で頭角を現し、コピーライター、プランナー、プロデューサー、映像ディレクター、営業と何でもこなす。

34歳になった日、突如として退社、独立した。

「人生は70歳までだと勝手に決めました。70歳で自分は死ぬんだ、と。それまでにDJをやらなくてはいけない。死ぬならマイクの前で死にたい」

彼は本気でそう思った。独立して開業した会社、シンセン(当時は新宣組)は全社員4名にもかかわらず、2畳の自社スタジオを有し、かつ、全員参加の制作営業体制を敷いた。

「忍者麺」をシンガポールに出店したときの様子
筆者提供
「忍者麺」をシンガポールに出店したときの様子

それもあって社業はなんとか順調。

そんな彼が自社で番組枠を買い切って始めたのが2005年10月9日放送開始の30分番組、HBC「ヘンシン・ラジオ・ステーション」(2009年5月より「シンセン・ラジオ・ステーション」)だった。18歳で決心したDJになるために28年の時間が必要だった。

同番組は18年間、続いている。内容はゲストを迎えた対談だ。

わずか15分でゲストを丸裸にしてしまう

「私が会いたいと思ったチャーミングな人たちがゲストです。30分の番組ですが実質の時間は23分間。事前の打ち合わせは10分か15分。それで1回の放送を行います。曲はかけませんが、歌手をゲストに迎えた時は別です。

以前のことになりますが、第1回目のゲストは松崎しげるさんで、その時番組のジングルを生で歌っていただきました。この間は八神純子さんがいらっしゃいました。ドラクエVの時のすぎやまこういちさんも。

すぎやまこういちさん(故人)をゲストに迎えた回
筆者提供
すぎやまこういちさん(故人)をゲストに迎えた回

会社もスタジオもオフィスも自宅と一緒なんです。2階に妻とふたりで住んでますから、24時間365日いつでも録音できます。この番組の聴取率は低い時で1%台後半、高い時は2%。2%は10万人くらい。

だから、番組で『3000円のお花をプレゼントします』と言ったらメールが400通も来たことがあります。聴いているのは札幌だけじゃなく、北海道全域と青森、秋田、岩手、福島の海側の東北地区です。今ではラジコもあるので日本全国聴きたい人は聴ける。すごいことですよ」

わたしは彼の番組を見学した。実際にゲスト出演もした。

感心したのは放送前の打ち合わせだった。彼はゲストの人生をわずか15分の間に聞き取り、それをB4の紙1枚にまとめてしまう。聞くのも上手で、裸にされてしまった気分だった。DJでなく、事情聴取を得意とする刑事を目指せばよかったのではないかと感じた。