出会いから2年後、母が脳梗塞で倒れ…
ねりま健育会病院の院長、酒向正春に会ったのは2014年の初めのこと。彼とわたしは総務省の東京オリンピック2020の委員で席は隣だった。
会うなり、こう話しかけてきた。
「野地さん、あなたの本と私が書いた本を交換しませんか」
大人だから「嫌です」とは言わない。「もちろんですよ」と精一杯の笑顔で答えた。
その時、続けてこう言っていた。
「野地さん、リハビリテーション医の仕事は幸せを考えることなんです」
妙な気がした。わかったような、わからないような……。病気を治すのが医師の役目だ。しかし、酒向は「幸せを考える」という。まあ、いいか。そのまま挨拶はしたけれど、ものすごく親しくなったわけではなかった。
2年ほどして、わたしの母(当時、88歳)が脳梗塞で倒れて救急車で入院した。入院したのは急性期病院だ。緊急、急病の患者が入院する病院である。患者はその後、症状が安定したら退院して自宅に帰る。ただ、脳梗塞で倒れると認知症になるケースが多く、その場合は回復期リハビリテーション病院へ移ってリハビリを行う。母親もまたリハビリ病院を探すことになった。
「酒向先生は確かリハビリ医?」
やさしかった母が怒鳴るようになった本当の理由
その頃、彼は世田谷記念病院の副院長で回復期リハビリテーションセンター長だった。
母が住む家から近く、そして病室の空きがあったから、その病院に入った。
命を取り留めたのはよかった。ただ、ひとつ、気になることがあった。倒れる前までやさしかった母が怒鳴るようになっていた。わたしに当たり散らすような状態だった。
認知症になると、仕方がないのかなと思ったけれど、酒向に「どうして、うちの母は怒るようになったと思いますか?」と訊ねてみた。
すぐに答えが返ってきた。
「お母さんは他人じゃなくて、自分自身に怒っているんですよ」
続けて、こう問いかけてきた。
「野地さん、人間にとって幸せとは何だと思いますか?」
そんなことを突然、言われても困るというのが正直な反応だった。
怒るようになった母を心配しているだけで精一杯なのに、そんな時に人間の幸せを問われても……。それよりも、怒る母をなんとかしてほしかった。
彼は微笑した。
「野地さん、私は人間の幸せって周りの人を助けてあげて、喜んでもらえることだと思うんです。幸せとは他人からお金や物をもらうことじゃありません。人は、他人に何かをしてあげられる自分自身に幸せを感じるんです。認知症の患者だって同じです。何かをして、喜んでもらいたいと思っているんです。それができない自分に怒ってしまう」
至言だなと思った。