報告書が指摘したマスメディアの責任

調査結果の功績は、ジャニー氏とメリー氏が絶大な権力を掌握し続けた、典型的な同族経営によるガバナンスの脆弱ぜいじゃくさというよりも欠如を厳しく指摘するにとどまらない。被害者に自責の念や諦めを植え付けて状況を受容させ黙らせる、グルーミングと呼ばれる手なづけ行動が、全ての元凶たるジャニー氏だけでなく周囲の大人や社会によっても積極的あるいは消極的に行われてきたことにも、被害者への丹念なインタビューの成果として言及している。

これまでに告発されている1950年代の最古の件から数えれば、70年近くにわたってジャニー氏が周囲の疑惑の視線(あるいは黙殺)から隠れるように連綿と続けた少年たちへの性加害の事実が、いかに日本の芸能界で、いや社会全体で、隠蔽いんぺいされ温存され、黙殺されてきたか。その一端は「マスメディアが正面から取りあげてこなかった」ことにあり、「報道機関としてのマスメディアとしては極めて不自然な対応をしてきた」結果、「被害が拡大し、さらに多くの被害者を出すこととなった」片棒を担いだのだと、マスメディアの責任を強く糾弾するものでもあった。

児童性加害を放置したのは誰か

この件については、マスメディアの黙殺が早期からやり玉に挙がったこともあり、マスコミ各社がどのような報道対応を取るか、声明を出すかも注目され続けた。特に取引の歴史が長く事務所との関係が強いテレビ業界においては、今回も各局各様の声明が出されており、タレントの起用を今後も続けていくとあえて明言した局に対して強い批判も生まれている。

しかしテレビ業界は、これだけ重大で大規模な性加害事件を「陰で支え続けた」さまざまな利害関係者の中の、確かにかなり大きめではあるが、一つの極にすぎないとも思う。

性加害を60年以上も放置したのは他でもない、私たち全員だ。一般の視聴者だ。ファンだ。社会全体だ。マスコミや芸能の世界だけの問題ではない、そういう意識はあるだろうか。

年端もいかない、10代の未成年が、芸能界で売れるために大人から性的な行為を強要される。そんな「児童虐待」に枕営業などと別の名前を与えて呼んで、「通過儀礼」とぼんやり容認してきたのは誰だ。そうやってやっとの思いで出てきたタレントを画面で見て喜んでいたのは誰だ。私たちだ。

ジャニーズ事務所をめぐる報道への感想として「タレントとファンに罪はない」とする無邪気な声がある。私はそこに大きな違和感を感じる。

「ファンに罪はない」? 私が知る中には、「ジャニーさんのそういう噂」を知り、自分のジャニーズJr.の「推し」がそんな関係性の中で取り立てられてデビューしたりセンターに立つことに疑問を持たないどころか「頑張った」と評価してきた人は決して少なくなかった。男性同性愛の加害被害関係に「萌え」を感じてあれこれの思いを開陳する女性ファンも決して少なくはなかった。だが、性別が逆だったらそれどころじゃないはずだ。

コンサートで手拍子する観客
写真=iStock.com/endopack
※写真はイメージです