孤独な環境とSNSで加速する社会の分断傾向

私が就職した頃は、仕事はまだ電話とFAXが中心で、職場は騒然としていました。会話での様々なやり取りがあり、休憩中には同僚や上司部下で雑談や冗談なども話したりしていました。今の多くの職場は良くも悪くも静まり返っています。皆がモニターに向かって作業をし、ランチも自席でSNSを眺めながら済ませ、「おはようございます」と「お先に失礼します」以外、1日中誰とも話さず黙々と仕事をしている人も多いと思います。

オフィスで働く3人の人物
写真=iStock.com/shapecharge
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家庭、職場、学校で言葉でのコミュニケーションが圧倒的に減っていく中、私達は以前よりもスマホやSNSを眺めて時間を過ごすようになりました。SNSを活用することで、#MeToo運動のように、知らない人同士が情報の共有と拡散によって共感と連帯を生むことも可能です。

しかし、孤独な状況によって自己中心的で攻撃的で反社会的な傾向を徐々に強めた人々が、孤独の解消に長時間インターネットやSNSの情報に触れていると、自分の考えに近い意見を目にすることによってその傾向を強め、社会の分断傾向が加速していきます。この極化の傾向は特に高齢者世代によく見られると言われています。ネットからの大量の一方的な情報に晒されながらも、それらについて誰かと話す機会が孤独な環境から少ないからではないかと思います。

政治の話は同じ「階級」の信頼できる友人以外とはタブー

アメリカのトマス・ジェファーソン元大統領は「よく知らされた市民は民主主義の砦だ」と市民への情報公開の重要性を主張しました。しかし市民は、実は情報を得てそれだけで判断するわけではありません。その情報の意味合いについて、対話し討議し、自分の意見を披露し、他者と意見を比較してから総合的に判断をするものです。

かつて私達は、長屋のご隠居さんや職場の上司との日常的なコミュニケーションから様々な情報についての意見を聞き、その判断をしていました。今はそのような場は失われ、ネット上での過激な応酬か、コメンテーターのポジショントークを眺めることしかありません。

また皮肉なことですが、平和で安定した社会で自由競争資本主義経済が続くと、必然的に、より資産を保有している人間がより豊かになります。結果として、既存秩序が続く競争社会では世代を重ねる毎に、経済的に豊かな家庭に育った子弟ばかりが良い教育を受け、所得の高い職業につくことで、格差は拡大し、階級は固定化されていきます。

私達日本人は、イギリスやアメリカは文化に多様性があり、様々な立場でのオープンな議論や対話が行われていると思いがちですが、現地に住む友人に聞くと、最近は政治的な話は、経済状態の近い同じ「階級」の余程信頼できる友人以外とはタブーだと話していました。