何の目的もなく、ただひたすら話すだけの寄り合い

私達は、地平線に夕陽が沈むのを1人で見ていたりすると、感傷的で寂しい気持ちになることがあります。私達人類はその歴史の95%を狩猟採集民族として生きてきました。狩猟採集民族においてはジャングルや山で1人取り残されることは、即ち死を意味しました。狩猟採集民族の脳は、仲間がそばにいないと大量のコルチゾールを分泌しストレスと不安を感じるようにプログラムされています。

かつて北アメリカのある部族と生活し研究した人類学者は、その50人くらいの部族が、時々何の目的もなく、ただひたすら話すだけの寄り合いを持つことを観察しています。特に何かの結論が得られることもなく、やがて会合は終了するのですが、誰もが自分の成すべきこととお互いを十分に理解したように見え、その後、より少人数の会合で判断したり行動を取るとのことでした。

何かのアルゴリズムや論理的思考によらず、ひたすら声のコミュニケーションを取ることで集団全体の意識とそれぞれの存在と役割を確認する、これは人間ならではです。別の言い方をすれば、自分の意識と知能/知性だけでなく、他者にも自分と同じ意識と知能/知性があると認識して、コミュニケーションを取る。そして見知らぬ他者から学び、他者と共感し、集団を良い方向に進化させようと努力する。これは他の動物と違った人間だけの特徴です。

ChatGPTなどの生成AIは、言語データを大規模に事前学習しているので、あたかも対話が成立しているようなやり取りになりますが、AIにもちろん意識はなく、お互いの共感も芽生えません。

見直されつつある音声メディアの役割

オフィスはキーボードの音が響くだけの静かな場所になり、テレビやYouTube番組には字幕が必ずつくようになり、電車の車内を見渡すと全員がスマホの小さな画面を見て小さな文字を打ち込んでいます。

効率性、特にタイパ(Time Performance/時間効率)が求められる現代において、情報一覧性があり、深く読み込むか浅く斜め読みするかも選べ、興味がなければ簡単に離脱も可能なテキストメディアに私達は囲まれています。

しかし近年、徐々に声(Voice)や音声メディアの役割が見直されつつあります。

1つには、アマゾンのアレクサ等のスマートスピーカーやワイヤレスイヤフォンといったデジタル機器が普及し、高音質で音声コンテンツを楽しめるようになったことがあります。また、可処分時間を奪う様々なコンテンツに囲まれた人々が、益々タイパを求め、家事やジョギングをしながらの「ながら利用」が可能な音声コンテンツに流れている傾向があります。

コンテンツの制作側にとっても、動画に比べて編集作業等も少なく、コストを抑えられるメリットがあります。これまでニッチなアナログメディアの印象が強かった音声ですが、皮肉にもさらなる情報化とデジタル化の流れによって改めて注目されているのです。