どうすれば他人とわかりあえるのか。脳科学者の茂木健一郎さんは「養老孟司先生は『必要なのは教養だ』とおっしゃっていた。これは脳科学からも合理的な事実だといえる」という――(第3回)

※本稿は、茂木健一郎『強運脳』(かんき出版)の一部を再編集したものです。

黒と白の街の歩道に2人の逆さまの影
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なぜわれわれは他者とわかりあえないのか

「茂木くん、教養とはね、他人の心がわかるということなんだよ」

以前、養老孟司先生がそうおっしゃっていたことを今でも時おり思い出します。それは何も情緒的な理想論ではなく、私がこれまで長年研究してきた脳科学からも合理的な事実だからです。

いつの時代も、対人関係は生きていくうえでもっとも重要といえるテーマです。仮にあなたが「他人のことなんか気にしない。自分は自分だし」と思っていても、他者は必ずどこかであなたの人生に介入し、たとえあなたが望まずともあなたの思考や行動、そして人生に何かしらの影響を及ぼすものです。

心理学者として世界中で知られるアルフレッド・アドラーは、「すべての悩みは対人関係の悩みである」と説きましたが、人間関係についてまず前提として理解しておきたいのが「さまざまな人がいて、それぞれの価値感を持っている」ということです。

脳科学者としての私は、いつもこんなことを思っています。

「なかなか他者とは、わかり合うことはできないんだよな……」

「話せばきっとわかってもらえる」のウソ

冷静に考えてみれば、これは脳科学以前に人間として当たり前に感じていることのように思えます。

わかりやすい例でいえば、男性が女性のことを完全に理解するのは難しいですし、またその逆もしかりです。お金持ちは貧乏人の気持ちを理解できなかったり、健康な人は病人の気持ちなんて厳密にはわからないわけです。

だからこそ、私たち人間には気遣いが必要なのですが、意外にもそのような認識で生きている人は少ないように思えてなりません。

「あの人とはきっとわかり合える」というように考えてか、「コミュ力さえあれば!」と必死に対人スキルを磨こうとする風潮があるのもたしかです。

ただし、多様な価値観を持つことが当たり前となった現代社会で、「話せばきっとわかってもらえる」という考え方はある意味では危険なことなのかもしれません。他者とはわかり合えないことを前提としたうえで、いかに周囲とうまく折り合いをつけて生きていくのか。それは一生避けては通れない課題だといえます。