母親から「死ねばいい」と言われ、共感性や罪悪感が欠如
心理鑑定を経て、浮かび上がってきたのは、K少年が幼少期から暴力やネグレクト(育児放棄)、母親から「死ねばいい」と言われるなどの心理的虐待を複合的に受けていたという事実でした。
その影響で、K少年は、共感性や罪悪感の欠如がみられ、専門的な治療が必要なトラウマ(心的外傷)を抱えている、ということでした。
しかしながら、小学校5年生で親元を離れ、その後の期間を過ごした児童自立支援施設などにおいては、トラウマに対する適切な医療的・福祉的ケアはまったく行われていませんでした。
「野良猫が亡くなった話」でうっすら涙を浮かべる
普通の人であれば、人を殺す、命を奪うことが悪いことだとすぐにわかります。周囲の大切な人が殺された遺族の悲しみも想像がつきます。
しかし、自分が愛されたことも大切にされたこともなく、自分の人生や生命に価値を見出すことができない育ち方をしてきた人間に、命の尊さを理解してもらうのは至難の業です。
また、親や兄弟から虐待され、自分が死んだとしても、悲しんでくれる人すらいない少年に、親族の悲しみを理解させることは、さらに難しい課題です。
K少年に共感力、罪悪感をもってもらうというのは、極めて長く困難な道のりのような気がしました。
他方で、K少年は私に対し、子どものころに飼っていた野良猫(友だちのいない少年の唯一のトモダチだったそうです)が亡くなった話をするときは、うっすら涙を浮かべることもあり、この子の共感性が育っていないのは、生来的なものでなく、環境の要因が大きいのだな、と思わせられました。
鑑定人も、K少年と面談した際に「自首しておけばよかった。女性にも生活があった」と涙したことがあったことを証人尋問で明かしており、そこに少年の可塑性を見出したようでした。
*事実関係、法廷でのやりとりなどについては、もととなった事件において報道された事実の範囲に限定して記載させていただきました。また、その他の事実関係、少年との手紙のやりとり、会話の内容などは、プライバシーに配慮して、一部修正等が加えられていることについて、ご了承ください。
(後編に続く)