戦友たちの分まで精一杯生きることを心に誓う
ひとしきり無事を喜びあったが、頭の中は醒めたままだ。畳の上に座っている現実が受け入れられない。
家の中にいても落ち着かず、
「ちょっと護国神社に行ってくる」
と言い残して一人外に出た。
京都の護国神社は東山区清閑寺霊山町にある。明治天皇の勅令により、維新前、志半ばに倒れた志士たちの御霊を祭神として創建以来、日清・日露戦争などを含む英霊たちを祀ってきた。
みんなと一緒に参ることはできなかったが、戦場に散った戦友たちの眠るこの場所に帰国の報告をしないわけにはいかない。出征前、あれほどにぎわっていた境内も、今はひっそり静まりかえって不気味なほど。夏草が茂り放題で、かつての面影はない。
さらに驚くべきことを発見した。なんと占領軍の手によって護国神社は“京都神社”と名を変えられていたのだ。
敗戦の屈辱を改めて噛みしめ、千々に乱れる心を必死に鎮めながら、とにもかくにも本殿の前に立って静かに手を合わせた。生まれてこの方、この時ほど敬虔な思いでお参りをしたことはない。本殿の奥にざわざわと戦友たちの気配を感じ、全身に鳥肌が立った。
(やはり帰っていたんだな……)
そう思った瞬間、次の言葉が自然と口をついて出た。
「生かされたこの命続く限り、日本の復興のために尽くします!」
戦友たちの冥福を祈るとともに、彼らの分まで精一杯生きることを心に誓ったのだ。
護国神社で見た衝撃の光景
ところが……である。彼は忘れがたい光景を目にすることになる。
参拝を終えて参道を戻ってくる途中のこと、草むらの中でがさっと音がした。戦場にいたときの癖でこうした物音には反射的に姿勢を低くして身構える習慣がついている。
腰を落とし、目を凝らして音のした方向をうかがうと、目に飛び込んできたのは米兵と派手な化粧をした日本の女性が抱きあっている姿だった。強姦されているのでないことはすぐにわかった。だが、彼女はよりによって護国神社の草むらで敵だった米兵と抱きあい、白昼堂々キスをしているのだ。
たまらなく汚らわしいものを見た思いで、ぱっとその場を飛びのくと、参道を駆け下り、右に折れて八坂神社の山門あたりまで駆けに駆けた。走ることで、身体から汚らわしさを一刻も早く振り払おうとしたのだ。
悲しくて、情けなかった。