この時まだネックレスも知らなかった
護国神社から帰った幸一は、京都駅に迎えに来てくれた礼を言おうと、自宅裏の離れに住む叔父を訪ねた。
玄関を開けると一人の男が商品の見本を広げ、叔父と話している。
「おお幸一か。こちらは、わしが戦争中に徴用されていた島津製作所で上司だった井上早苗さんだ」
と紹介された。
井上は風呂敷包みの中から桐の箱を取り出した。蓋に花の図柄が描かれている。
「京都の画家に一つずつ手描きしてもらいましてん」
蓋をあけて中の品物を見せられたが、戦地に長くいた幸一にはそれが何か思いつかない。
「数珠ですか?」
そう言うと呆れたような顔をされた。
「模造真珠のネックレスや」
「ネックレスってなんですか?」
「首飾りだよ」
後年、女性のファッションに関するものならどんなことでも知っていると豪語するようになる幸一は、この時なんとネックレスも知らなかったのである。
敗戦によってわが国は焦土となったわけだが、男性の多くが虚脱状態だった一方で、この国の女性たちの立ち直りは早かった。
敗戦の翌年には並木路子の流行歌「リンゴの唄」が人々に元気を与え、もんぺ姿だった女性たちの中には、早くもおしゃれを楽しもうという人が出てきていたのだ。
帰還したその日からビジネスが始まった
井上は岡山に住む親戚の作る模造真珠を取り寄せ、人絹でくるんだ台紙に載せ、さらにそれを桐箱に入れて高級感を出し、商品にした。米や砂糖などの統制品でないから自由に商売ができる。
そうは言っても貧しい日本人女性の購買力はたかがしれている。一番売れるのはやはり米兵相手の売店(PX)だった。日本土産と言えば、世界的に有名な“ミキモトのパール”が人気だったからだ。
「進駐軍に卸すだけでは在庫がさばけんので、他の売り先を探しとるんや」
その言葉を聞いて血が騒いだ。ただでさえ米兵と戯れる女性を目にして興奮冷めやらぬ状態にある。何にぶつければいいかわからない怒りを商売で発散しようと思い至った。
「僕に任せてください!」
そう言って頼みこみ、その日決済の約束で商品を貸してもらうことにした。こうして彼の日本女性を美しくしようとするビジネスは、まさに故郷の土を踏んだその日から始まったのである。