法的秩序が通用する世界は、唯一の世界秩序が存在しない以上は相互の信頼に基づく国際体制だが、信頼体制は権力的秩序の内側でしか通用しないことが多い。

例えば、パクス・ロマーナ、すなわち「ローマの平和」と言われるように、ローマの圧倒的パワーを中心に構成された秩序は、ローマとその属州からなる帝国的な秩序であり、まさに権力的秩序である。そしてこの秩序の中では、一つの帝国として法に基づいて統治されていた。

しかしローマの衰亡に伴い、その秩序は崩壊していく。これは法的秩序が権力的秩序によって維持されていたことの、一つの証しである。ローマ帝国のような「帝国」とは、国家の形態としては、権力的秩序に基づく複数の国家の集団としての超国家である。つまり帝国とは、秩序構成的パワーとその属国により構成された小世界と言える。

参加資格があるのは真の主権国家だけ

国家としての帝国でなくとも、現実の国際政治の場における国際秩序は権力的秩序が基礎にあり、多くの場合、大国とその衛星国からなる国家の集団(複数)から構成される。これが大国政治という国際秩序の形態である。この秩序の下では、大国と呼ばれる国家だけが真の主権国家であり、これら大国同士が国際政治を行う。

2022年6月30日、ロシア対外情報庁の記念碑の前であいさつするロシアのプーチン大統領(写真=kremlin.ru/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
2022年6月30日、ロシア対外情報庁の記念碑の前であいさつするロシアのプーチン大統領(写真=kremlin.ru/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

その他の小国は、名目的な主権国家ではあるかもしれないが、実質的にはいずれかの大国の庇護のもとにある衛星国であり、国際政治の場での発言力は持たないか、持っていても大国と比べて非常に小さい。こうした世界では、いくつかの緩やかな「帝国」による秩序が競合している状態と言ってよいだろう。

自由民主主義の眼鏡を通して見た世界は、国連総会に代表されるような一国一票の民主的世界かもしれない。しかし、その眼鏡を外してみれば、世界は大国とその衛星国、及びその他の小国からなる大国政治の世界なのだ。

実際には、その国連にしてからが、安全保障理事会常任理事国である五大国に特権的立場を与えた大国政治の支配する場である。アメリカの国際政治学者ハンス・モーゲンソーは、「国連は大国の国際統治である」と断じている。

敗戦国の日本を「対等な相手」と見なしていない

アメリカを中心的パワーとした秩序、ロシアを中心的パワーとした秩序、そして中国を中心的パワーとした秩序(現時点ではあまり範囲が明確でないが)があり、イギリスとフランスが十分大きなパワーとしてアメリカとともに欧米的秩序を構成している。

国連はこれらの秩序に支えられた国際組織であり、その他多くの中小国をどの秩序に取り込むかを争う政治の場なのである。