再びの別居と同居
同じ年の8月、コロナの後遺症からだいぶ回復した小窪さんは、自宅近くで訪問調査員の仕事を開始し、翌年から84歳の父親の通い介護をスタート。
しかし、母親が特養に入所して以降、2年弱ひとり暮らしを続けた父親の孤独感が強く、精神的に不安定になってきたため、小窪さんは夫や妹、父親や職場の人たちと相談し、12月に訪問調査員の仕事を退職。2023年4月から再び実家に移り住み、父親と2人暮らしをすることに決めた。
特養に入所した母親が認知症初期の頃は、小窪さんが自宅に帰る時に毎回、手紙とお金が渡され、「いつも遠いところからありがとう」と書かれていた。その手紙も、だんだん母親は置いた場所を忘れたり、用意したことを忘れて、家の中で小窪さん自身が見つけたり、受け取ったのに、またもう1通が私のカバンに入れてあったりするようになった。
父親は口に出して感謝を伝えることはあまりないが、時々、「ありがとうな」と言うことはあり、小窪さんには、父親が心の中で、自分や夫に感謝してくれていることが伝わっているという。
「時代の流れ的には、『介護離職はなるべくしない、させない』が主流となっていて、ケアマネは介護家族が介護離職をしなくてもいいように支援していく立場でした。自分が時代や立場と逆の行動をとることに、ためらいも大きかったし、約2年間父母と同居し、イライラさせられることもありました。私のコロナ感染がなければ、今も続いていたかもしれません。けれど、この2年間があったから、母の特養入所に対して後悔は全くありませんでした。この2年間がなければ、『もっとこうしてあげれば良かった……』と悔やんでいたと思います」
子どもの頃に自分の家庭が嫌いで、「早く家を出たかった」と言う小窪さんだが、それでもここまで両親に献身的になれることに脱帽する。数十年の時を経て、両親に世話が必要になり、子どもだった小窪さんが親のようになった今、家族をやり直すことができたことは、双方のために良かったことかもしれない。
「この経験をしたことで、私は介護離職が一概には悪いこととは言えないと感じています。今、自分にできることをすることで、その後、悔やむことなく前に進むことができるのではないかと実感しています。家族や生活、金銭的な事情はみんなそれぞれ違いますが、それぞれが“その時にできること”に精いっぱい取り組むことが大切だと思いました」
介護は施設に入れて終わりではない。母親とはなかなか会えないが、月に1度は必要なものを届けに通っている。父親との同居も始まったばかりだ。
現状、時々妹のサポートがあるとはいえ、介護のキーパーソンである小窪さんが一人であまりにも多くのものを背負い込みすぎているようにも見える。釈迦に説法かもしれないが、頼れるものは頼り、養生に努めてほしい。