コロナにW感染

2020年12月。母親が通うデイサービスでコロナ感染者が出たため、母親もPCR検査をしたところ、陽性と判明。デイサービスはしばらく休みになった。

コロナ陽性の母親は、認知症のため、何度説明しても忘れてしまい、マスクをし続けることができず、家の中をマスク無しで自由に歩き回る。小窪さんは高齢の父親を守るため、気を張り詰めていた。

保健所に相談すると、母親の入院先を探してくれることにはなったが、認知症を理由に、一向に受け入れ先は見つからない。「症状が急変したら、『陽性』と伝えて救急車を呼んでください」と言われたまま放置され、小窪さんのストレスはMAXに達しようとしていた。

ソーシャルディスタンスを保ちながら、列に並ぶ人々
写真=iStock.com/recep-bg
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母親のコロナ感染から約1週間後、小窪さんは頭痛と肩こりに悩まされていた。保健所ののらりくらりとした対応にも疲れ切っていた。

2021年1月。ついに恐れていた事態になる。小窪さんがコロナに感染したのだ。発熱と味覚障害があり、保健所に連絡すると、数日前に受けたPCR検査が陰性だったことから、「救急車は呼ばずに、再度検査を受けるしかない」と言われた。

あまりの対応に愕然とした小窪さんだったが、すぐさま母親の主治医に相談すると、「救急車を呼びなさい」と勧められたため、両親が就寝したのを見届けると、夫と妹に連絡し、自分で救急車を呼んだ。

救急病院に着くと、貧血を起こした時のように風景がチカチカと白黒になり、めまいに襲われる。看護師と医師が、「一瞬、意識喪失で、目が上転していました」「グロッキーな状態です」と話している声をぼんやり聞いた。小窪さんは肺炎を起こしていた。

小窪さんが入院した後の実家の両親のケアは、妹に頼むしかなかった。コロナのせいでしばらく会っていなかった妹を、母親はもう自分の娘だと分からなくなっていた。

12日後、小窪さんは退院できたが、味覚や嗅覚、体力は回復しきらず、実家ではなく自宅へ戻り、約半年間の自宅療養を余儀なくされることになる。

2月。小窪さんは自宅でコロナ感染後の後遺症に悩まされ続けていた。実家の両親を妹に任せているとはいえ、妹には持病があるため無理はさせられない。そのため母親の特養入所を検討し始めた。

希望施設は、2年前に母親の姉も入所した特養。実は、そこなら小窪さんの自宅から自転車でも行くことができる。小窪さんは、父親や妹と相談し、母親にもわかるように説明。特養を申し込んだ。

そして3月。母親の特養入所が決定した。

「みなさん、『特養は介護度の重い人が入る所で、待機人数が多いから無理』と思っているようですが、実際は少し違っています。確かに入所条件は要介護3以上となっていますが、申し込み順ではなく、本当に困っている人からの優先となっています。身体は元気でも、徘徊はいかいして家族が目を離せない、家族の介護疲労が強く共倒れや虐待の危険がある、など自宅での生活が困難で、急いでいる人から『判定会議』にかけられます。

また、現在特養はとても増えています。新しい特養はオープン時に一定の入所者を確保するため、入所しやすいのです。その代わり、職員に新人さんが多いので、介護力は入所してみないと不明ですが……。こうしたことを、私はケアマネとして働いていたため知っていたことや、近所の特養のオープン時に伯母(母の姉)が入所し、施設との関係を築いていたことで、コロナ感染・入院・療養で私が母の介護を行えなくなった時に、同施設で判定会議にかけてもらうことができたのだと思っています」

母親の認知症の進行具合からはグループホームの方が合っているかもしれないが、母親は認知症の初期の頃に父親の退職金などを使い果たしてしまったため、金銭的な理由もあった。しかし、小窪さんが特養入所を希望したのは、もうひとつ理由があった。

「ケアマネやヘルパーを経験した介護の専門職として、『もう、ゆっくり穏やかに過ごしてほしい』という気持ちがあったからです。特養では自宅として生活するため、デイサービスのように、運動やレクリエーションは特にしません。運動やレクリエーションをしなければ、認知症も進行し、身体状態も低下していくでしょうけれど、私は『もうそれでいいよ』と思っているのです」