ビジネスの進化は「出入り禁止」から

あるとき、友だちが「大人になって大成した人、成功した人というのは、小さいときに大病を患っているか、親を亡くしているか、どちらかを経験している」と書いている新聞記事をみせてくれた。「自分は、その二つとも経験した。だから、気を落とすことはない」と、勇気づけられる。このことは、何かのたびに、部下たちに話してきた。

「冬日之閉凍也不固、則春夏之長草木也不茂」(冬日の閉凍や固からざれば、則ち春夏の草木を長ずるや茂からず)――冬の日に大地を固く閉じ凍らせる寒さがなければ、春から夏にかけて草木が伸びても、茂るまでには至らないとの意味で、中国の古典『韓非子』にある言葉。人間は艱難を経験しないと大成はしない、との指摘だ。確かに、懐の深い大人物をみると、若いときに親を失ったり、貧しいなかで育ったり、困難を乗り越えてきた例が目につく。岡藤さんの歩みも、この言葉に重なる。

療養で進学は遅れたが、東大経済学部に入り、74年4月、伊藤忠商事に入社する。大阪に本社があり、母と暮らせるところを選んだ。配属先は輸入繊維部の輸入紳士服地課。以来、株式を取得した西武百貨店との連携を考えるプロジェクトを率いた2000年まで、ずっと大阪で、繊維製品の輸入部門ですごす。

5年目に、著名ブランドの輸入に食い込もうと、取引先に日本の窓口会社の社長を紹介してもらう。立派なオフィスを構え、美人の秘書が2人いた。業績は好調にみえ、相手の出す要求を受け入れて、年間10億円の商談をまとめる。だが、上司に「先方の財務状況は、調べたのか」と指摘される。まだだった。

当時、相手は苦しいときで、上司に取引額を縮小された。商談はご破算となり、教訓が残る。取引を始める相手のことを事前に調べておくのは当然だが、みかけで会社を判断してはダメ。約束は、できることのみに限ることもだ。

相手の社長は怒り、出入り禁止となったが、しばらくして訪問を再開する。なかなか会ってくれなかったが、秘書が気の毒に思って話してくれたらしく、社長のほうから電話がきた。出入りが許され、今度は輸入ではなく、ライセンスを得て国内でつくって売る権利を獲得する。

その成果は、取引額の拡大にとどまらない。輸入販売の権利からライセンスによる生産・販売へ、ブランドビジネスを進化させた。無論、品物のデザインや使う生地などは、ブランドの本家が指定する。それを受け、ものづくりに長けた国内勢が本家の希望通りの品をつくり、市場に送り出す。ブランドビジネスでは後発組だった伊藤忠が、いまや一人勝ちの状況に至る第一歩となる。

2010年4月、社長に就任。繊維部門で苦楽をともにした元部下たちが、祝いの会をしてくれた。挨拶で、「おふくろが『おめでとう』と言ってくれた」と打ち明ける。出席者は、そのとき、厳しかった上司が涙を流す姿を初めてみた。高校時代に父を亡くした後、母が1人で兄弟2人を進学させ、社会へ送り出してくれた。感謝の気持ちが溢れても、おかしくも恥ずかしくもない。

普段から言葉が短く、ついパンパーンと言ってしまうから、「怖い社長」だと思われる。だから、厳しい内容の話も、ゆっくり、丁寧な言葉遣いにして、柔らかく聞こえるように努めている。昼休みに食堂で一緒になった社員たちには、仕事の話はせず、「息子さん、そろそろ受験だっけ」といったことを話題にする。家族や両親、故郷など、社員から聞いたデータを覚えておき、話題にしながら何気なく激励へとつなぐ。

入院と手術が2度という「冬日之閉凍」の体験が、そうした社員への思いを、引き出してくれる。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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