コンビニにATM時代に即した計画
2000年春、三和銀行で頭取の秘書役を務めていたとき、役員から「ヨーカドー・プロジェクト」の話を聞いた。イトーヨーカドーグループ(現・セブン&アイ・ホールディングス)が新しい形の銀行を設立するので、三和が持つノウハウで協力してほしい、とのことだった。銀行といっても、支店を構えず、現金自動預払機(ATM)網をめぐらせるだけ。ATMは、ヨーカドーグループのコンビニ「セブンイレブン」の店内などに置く計画だ。
「面白い」と思った。当時、大手銀行六行の間で、ATM網を共同で設立する構想があった。だが、主導権争いもあり、協議は滞っていた。その共同ATM構想には、関与していない。だが、ヨーカドーの計画には、巻き込まれた。それも、プロジェクトチームのリーダーを、秘書役のままで命じられる。47歳。人生の岐路が、近づいていた。
なぜ「面白い」と思ったか。そのころ、銀行の支店では、店内のカウンターにくる客よりもATMの利用だけで帰る客のほうが圧倒的に多くなり、店自体の存在価値は縮小していた。「ATM専門の銀行」というのは、まさに、時代の変化に合った着想だった。
三和は、スーパー業界では長らくダイエーと親しく、ヨーカドーとは疎遠だった。後になって聞いたことだが、ヨーカドーが親しい銀行に計画を持ちかけても、いい反応を得ることができず、三和へ持ち込んだらしい。三和は、90年代にATMだけの無人店を、首都圏を中心に1000店つくる計画を進めた。そのノウハウが、期待されたのだろう。
プロジェクトが舞い込む3年前、頭取時代に無人店の増設に着手した会長に呼ばれたとき、思わぬ述懐を聞いた。「無人店を懸命につくってきたが、銀行がバブルの後始末でここまで厳しい状況になると、もう、ああいうものを増やしていく時代ではない気がする。個々人の生活スタイルも変わり、ATMを24時間使いたいとなると、これを自前でやっていくのは大変だ。やはり、将来は銀行界共通のインフラとなるATM網が必要だろう」。正直、驚いた。まだ大手銀行による共同ATM構想は、出てきていない。その先見性、そして、自ら手がけた計画であっても自ら否定する柔軟性。リーダーとはかくあるべきものか、と知る。
新銀行は、会長が指摘したインフラだ。それも、銀行界の合理化のためではなく、全国の預金者のためのインフラだ。当時、セブンイレブンへの来店客は、1店平均で1日に980人。そのうち何人がATMを利用してくれれば、採算に合うか。商品棚の代わりに使うスペース代、店のオーナーに払う料金などを加味して、セブンイレブンがシミュレーションした。すると、1店で1日に75人が使ってくれればとんとんになる、と出た。実現可能な数字だ。
三和のチームが協力したのは、支援銀行としての体制づくり、ATM網システムが持つ課題への助言、監督当局への説明、銀行界への協力要請などだ。そうした仕事を、チームの若手に分担させ、自分は必要な調整や修正をする役に徹する。すべてがうまく進んだのは、やはり、時代が追い風となってくれるプロジェクトだったからだろう。
2001年4月6日、新銀行設立の予備免許が出た。アイワイバンク銀行(現・セブン銀行)が設立されて、ほどなく営業免許も下りる。翌5月には口座開設の受け付けが始まり、ATM網でのサービスも動き出す。全国銀行協会に入会し、各行のATM網とも接続。6月からは、主要銀行のキャッシュカードで引き出しができるようにもなる。セブンイレブンに置いたATMの台数は、7月に1000台を超えた。
順調な滑り出しだ。だが、そのとき、自分はもうプロジェクトを離れていた。予備免許が出る直前、三和と東海、東洋信託の3銀行が経営統合してできた持ち株会社のUFJホールディングスで、リテール企画部長に就任した。プロジェクトを進めるなかで、上司に「次は、リテール業務をやりたい」と言っていた。リテール業務とは、預金や住宅ローンなど個人客相手のサービスで、収益性が高く、銀行業務の中核になる、と確信していた。40代もあとわずか。進むべき道が、また近づいた。