受験や学校の試験にはバイアスがある

学校の勉強と社会に出てからの活動の違いの第2は、学校の勉強には、バイアスがあることです。

これは、英語でとくに顕著です。日本の学校教育では、日常生活や仕事で使う英語とは違う英語が求められています。

また、試験では、客観的採点の可能性が重要です。このため、問題の出し方に一定のバイアスがかかります。英語や国語では、長文読解が一番出しやすい問題です。ディスカッションをしたり、意見を述べたりすることが本当は重要なのですが、これを採点するのは難しいのです。

英語でも日本語でも、書くことは、実際の仕事の上で重要です。そして、重要性がますます強まっています。それにもかかわらず、書くための教育は学校では十分になされていません。

このように、学校の勉強とその後では、重要な点が違います。学者になりたければ、過去問に答えられるだけではまったく不十分です。過去問的な知識は、いまなら、ウェブを少し検索するだけで簡単に手に入ってしまうでしょう。しかし、それでは学者の仕事を進めることはできません。

他の仕事に関してもそうです。資格試験や英検(実用英語技能検定)などで良い成績を上げられても、それが仕事ができる能力を表すとは限りません。しかし、世の中には、これに関する誤解が根強く残っています。

「重要なこと」は変化する

現実社会での仕事が学校での勉強と違う第3は、「重要なこと」が固定的とは限らないことです。「重要なこと」は、勉強の場合にはほぼ固定的なのですが、ビジネスの場合には、往々にして、大きく変化します。

受験秀才が実社会で必ずしも成功しない大きな理由の1つは、この点に関して勉強と仕事とが違うことを認識できていないことにあります。

ビジネスでの多くの失敗は、過去の成功体験に基づいて作られたビジネスモデルが固定化されてしまい、そこから脱却できないことから生じます。

日本の多くの企業が、高度成長期の成功体験記憶から抜け出せず、その後に世界経済が大きく変化したことに対応できていません。変化に気づきません。あるいは気づいたとしても、変えられないのです。

もちろん、学生時代に受験秀才であった人が、その後成長して、受験秀才の殻を破って成長する、という場合もあります。しかし、受験秀才の段階で成長を止めてしまった人も数多くいます。そうした人たちが大組織に入り、組織の中で権限を持つようになれば、組織は固定化し、社会は停滞します。

変化を正しく捉え、それに柔軟に対応できるシステムを作り上げることが必要です。