“受験秀才”だった人物が社会に出て失速してしまうのはなぜか。近著『超「超」勉強法』が話題の野口悠紀雄さんは「受験秀才は、問題が与えられればそれを効率的に解けるのですが、どんな問題に取り組んだらよいのかが判断できないのです」という──。(第7回/全7回)

※本稿は、野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

実社会では「問題」が与えられない

学生時代には、他のことをせずに、勉強だけを思う存分にすることが許されます。そこで勉強した内容は、一生の財産になります。そのような機会を与えられたことに感謝しましょう。

ただし、入学試験に合格できても、勉強の成果をその後の仕事に活用できなければ、意味がありません。

ところが、学校の勉強と社会に出てからの活動とは、同じものではありません。

第1に、学校の勉強には、カリキュラムがあります。何をやればよいかが決まっています。問題が与えられています。そして、(通常はただ1つの)正解が存在します。これは、非常に特殊な状況です。

実際の社会では、問題が与えられていません。問題は、自分で探さなくてはなりません。適切な問題を見出すことこそが、重要です。研究者の場合には、何を研究テーマにするかが最も重要です。それを間違えると、一生を棒に振ってしまいかねません。

日本人男性ビジネスマン
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「指示待ち人間」が生まれる原因

ところが、「問題を発見する能力」は、学校教育ではなかなか訓練できません。その結果、受験秀才は、問題が与えられればそれを効率的に解けるのですが、どんな問題に取り組んだらよいのかが判断できないのです。

しかも、問題に答えがあるとは限りません。答えがない問題を捉えてしまう危険があります。

これらについての勘を養うことが重要です。それは、受験に必要な能力とは違うものです。

受験秀才はそれができず、「指示待ち人間」になってしまう危険があります。これが受験秀才の最も大きな問題です。このため、受験で成功しても、人生で成功するとは限りません。