ジェンダーレスの時代に戒名はどうあるべきか
いや、私は戒名自体が近い将来、なくなってしまう可能性すらあると考える。それは、ジェンダーレスの時代が到来しているからである。
先述のように戒名は、浄土真宗以外は男女で分けられている。たとえば男性ならば、「信士」「禅定門」「居士」などの位号が付けられる。女性では「信女」「禅定尼」「大姉」などだ。
また、これまで、戒名を付ける際には「男らしい」「女らしい」文字を取り入れることが多かった。たとえば、男性ならば「雄」「岳」「山」など。女性ならば、「室」「操」「淑」などである。
しかし、LGBTQの人や、その遺族であれば「生まれた時の性は男性だが、女性として生きてきた。だから、女性の戒名を付けてほしい(あるいはその逆)」と、戸籍上の性とは別の戒名を望むケースが考えられる。
理解がある住職であれば、施主の要望に応え、ジェンダー上の性別の戒名を付けてくれることだろう。しかし、LGBTQの人に対する偏見を抱える住職が対応した場合、悲劇が起きる可能性がある。
仮に住職が、「戸籍上の性別の戒名を付けるのが当たり前。一族の墓には、同性カップルは入れないよ」などと答えようものなら、LGBTQの人を苦しめることになりかねない。
それは仏教者としての資質を問われかねない問題にもなると同時に、「墓じまい」や「離檀」を加速させる要因にもなりうる。
本来、戒名は故人と遺された者、あるいは菩提寺とを結び付ける、有益なコミュニケーションツールでもある。しかし、現場の寺院での運用が適切ではないがゆえに、さまざまな軋轢を生むもとにもなっている。仮に戒名の習わしを継続させるとしても、高額で販売するなどもってのほか。宗門は末寺に対する指導を徹底するとともに、仏教界は現代社会に対応した柔軟な戒名の運用を考えていくべきだ。