新型コロナの感染症法上の位置付けが「5類」に移行し、市民生活は平時に戻りつつある。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「大規模な洪水・土砂災害や地震・津波などの犠牲者を弔い、教訓として後世に残すための石碑などは全国にたくさんある。今回のコロナ禍に関しても政府や自治体主導で伝承碑建立を造ってもらいたい」という――。

5類に移行で「コロナ感染」を風化させないために

全国各地には「自然災害伝承碑」と呼ばれる、記念碑や慰霊碑が数千基あるといわれる。いつの時代も日本人は甚大な災害の後には、伝承碑を建立し、後世に受け継いできた。新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが「5類」に移行し、ようやく平時の市民生活に戻りつつある。いまこそ、伝承碑建立の機運を高めるべきだが、国の動きは鈍い。

国土地理院資料「『自然災害伝承碑』について」より「自然災害伝承碑(水害碑:広島県坂町)」
出典=国土地理院資料「『自然災害伝承碑』について」より「自然災害伝承碑(水害碑:広島県坂町)」

自然災害伝承碑とは、大規模な洪水・土砂災害や地震・津波などの犠牲者を弔い、教訓として後世に残すための石碑やモニュメントのことである。国土地理院では2019年より自然災害伝承碑の地図記号をもうけ、全国の地区町村に碑の情報を呼びかけるとともに、ウェブ上で公開を始めている。

たとえば、約2万2300人の死者・行方不明者を出した2011年3月の東日本大震災。その後、東北沿岸地域には、多くの鎮魂の石碑(自然災害伝承碑)が建立された。鎮魂碑は犠牲者の供養を続けることで、津波の被害を語り継ぎ、次世代に対して「ここまで津波がやってきた」と警鐘を鳴らす役割がある。

かつて三陸大津波の後、「ここより下に家を建てるな」などの伝承碑の教訓を守り、東日本大震災での災禍を最小限に食い止めた地域もあった。

たとえば、青森県三沢市は2014年に「東日本大震災 津波の碑」を建立している。人の頭上をはるかに超えて、天に向かう波をイメージしたデザインが斬新だ。

「昭和8年3月に発生した『三陸大津波』や平成23年3月に発生した『東日本大震災』など、自然災害は、人の想像をはるかに超え、大きな爪痕を残してきました。私たちは、この経験を心に刻み、未来に伝えていかねばなりません」とのプレートが掲げてある。

また、岩手県田野畑村では大津波の度に「津波の碑」を建立している。1896年(明治三陸地震津波)と1933年(昭和三陸地震津波)に起きた2つの大津波の伝承碑の横に、新たに「東日本大震災 大津波伝承の碑」を建立した。そこには「津波を甘くみないで より早く、より高い所へ逃げる事」とある。

東日本大震災関連の伝承碑は、青森県から栃木県まで、主なものだけでも27基設置されている。

閖上の震災慰霊碑
名取市震災メモリアル公園、閖上の震災慰霊碑(写真=Arui Kashiwagi/CC-BY-3.0/Wikimedia Commons