自分が死んだ後の「名前」はどんなものがいいか?
戒名不要論が広がってきている。
戒名とは、あの世における故人の名前である。現在では死後に与えられることが通例になっているが、近頃はこの戒名を高額で「販売」する寺があり、トラブルを招くケースもある。また、「ジェンダーレス」の時代において、男女の区別がある戒名を望まない人々が出現。「俗名(本名)のままでよい」とする事例も増えている。戒名制度は、いまの時代にどうあるべきなのか。1000年以上の歴史を有する戒名が、いま岐路に立っている――。
戒名は、その起源や定義、付け方など宗派や地域によって異なるので、一概にこうあるべきと言えないところがある。古くは生前、仏門に帰依した証しとして、僧侶が授けていた。現在では菩提寺の住職が訃報を受けると、急いで考案し、枕経や通夜で授与することがほとんどである。
戒名授与は人生における「最後の通過儀礼」としての役割を果たしているが、その運用をめぐって、人々の意識との間に乖離が起きていることは否めない。乖離の要因のひとつは、戒名に「グレード(階級)」がある点である。
まず、戒名の構造を説明しよう。本稿では浄土真宗以外の宗派の戒名について述べる(浄土真宗系宗派では「釈○○」と、3字の法名=浄土真宗では戒名とは呼ばない、が通例で、男女の別もない)。
一般的に戒名は、字数の多さに比例して、グレードが高いと思われているようだ。戒名の基本形は2字だ。その下に位号と呼ばれる「信士・信女」「居士・大姉」などが付けられる。中世以降、支配階級や僧侶によって戒名の字数が増やされていく。貴族や武士、あるいはその夫人らに対して、「院」「院殿」「誉」「大居士」「清大姉」などの格式の高い戒名が与えられた。
例えば、徳川家康の戒名を例にして、解説してみる。家康の戒名は「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」だ。いかにも格が高そうだが、本来の戒名の部分は「道和」の2文字である。
「院殿」は、位階で「従三位」以上の大名に与えられる特別な称号だ。
「蓮社」は、現在では浄土宗僧侶に付けられるものであり、家康が浄土宗の念仏信者であったことを示している。
「誉」は、五重相伝という儀式を受けた者に与えられる。
ほかの武将の戒名をみれば、織田信長は「総見院殿贈大相国一品泰巌大居士」、豊臣秀吉は「国泰祐松院殿霊山俊龍大居士」である。
ちなみに明智光秀は「秀岳宗光禅定門」(他にも多数あり)、石田三成は「江東院正軸因公大禅定門」と、位号が「禅定門」となっている。禅定門(尼)は主に、関西で使われる戒名だ。「居士(大姉)」に準じる、もしくはその下位にあたる戒名とされる。天下人と、権力闘争に敗れた者の差が、死後の格差となって表れている。